大相撲

横綱10大史1 その起源

2017年8月10日

品格力量抜群につき、横綱に推挙する。審判
部が横綱に推挙したい力士がいるとき、理事
長はこれを受けて横綱審議委員会に諮問する。
ここで承認されると、番付編成会議、理事会
で正式に決定する。こうした流れで、今日
横綱は誕生する。

それでは、横綱の始まりは何か。はっきり
した資料が少ないなか、相撲史家が明らかに
してきたのは、一言で言うとこうなる。地鎮
祭の際の地踏み(四股と同じ動作)が横綱の
始まりのきっかけであった。地鎮祭を行うに
あたり、相撲の最手(ほて=大関)を1人
ないし2人を招いて、結神緒(むすびのかみ
お=しめなわ)をかけ、地固めに地踏みを
行った。こうした例はたくさんあった。相撲
の家元から式に参加する資格を与えられる
ことを「横綱の伝」を免許するといった。
(1773年行司式守五太夫の手記の伝書による)
谷風小野川
<谷風と小野川>

これを発展させたのが、相撲の家元吉田司家
であった。この儀式を土俵で行い、上覧相撲
の演目にするアイデァ打ち出したのである。
一人で行う土俵入りにしめなわを腰にしめて
行った。このしめなわを横綱と称した。

吉田司家が幕府に願い出ていた免許を与え
られたのが谷風と小野川である。最初に1人
土俵入りを行ったのが、1789年11月寛政元年
冬場所7日目から披露した。これが好評で、
横綱の土俵入りの始まりとなった。谷風も
小野川も当時の地位は関脇である。したがっ
て横綱は地位でも、強豪大関に与えられる
称号でもないことがわかる。

久々に神田に赴いた。
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よしなに
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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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