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横綱10大史1 その起源

品格力量抜群につき、横綱に推挙する。審判
部が横綱に推挙したい力士がいるとき、理事
長はこれを受けて横綱審議委員会に諮問する。
ここで承認されると、番付編成会議、理事会
で正式に決定する。こうした流れで、今日
横綱は誕生する。
それでは、横綱の始まりは何か。はっきり
した資料が少ないなか、相撲史家が明らかに
してきたのは、一言で言うとこうなる。地鎮
祭の際の地踏み(四股と同じ動作)が横綱の
始まりのきっかけであった。地鎮祭を行うに
あたり、相撲の最手(ほて=大関)を1人
ないし2人を招いて、結神緒(むすびのかみ
お=しめなわ)をかけ、地固めに地踏みを
行った。こうした例はたくさんあった。相撲
の家元から式に参加する資格を与えられる
ことを「横綱の伝」を免許するといった。
(1773年行司式守五太夫の手記の伝書による)
谷風小野川
<谷風と小野川>

これを発展させたのが、相撲の家元吉田司家
であった。この儀式を土俵で行い、上覧相撲
の演目にするアイデァ打ち出したのである。
一人で行う土俵入りにしめなわを腰にしめて
行った。このしめなわを横綱と称した。
吉田司家が幕府に願い出ていた免許を与え
られたのが谷風と小野川である。最初に1人
土俵入りを行ったのが、1789年11月寛政元年
冬場所7日目から披露した。これが好評で、
横綱の土俵入りの始まりとなった。谷風も
小野川も当時の地位は関脇である。したがっ
て横綱は地位でも、強豪大関に与えられる
称号でもないことがわかる。

久々に神田に赴いた。
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よしなに
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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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