いた。玉錦は名門出羽海(この当時は「ノ」の字はない)の
ように小部屋を一大勢力の部屋にしようと、二枚鑑札(現役
と師匠を兼任することで、現在は禁止されている)のまま60
人以上の弟子を抱えた。今、相撲部屋は43あるが、こんな
弟子数の部屋はない。現代の相撲部屋の事情を覗いてみた。
(元肥後ノ海)部屋が続いている。それにしても19人以下
の部屋が34もあるが、部屋だけの稽古ではなかなか活気
が出にくい。出稽古、連合稽古を推奨しなくては、強くはな
れない。逸ノ城の低迷は場所前の稽古の質の面にあるの
ではと思わずにはいられない。初代若乃花はまだ部屋に
下の者しかいない時代、何人も回して相手変わっても、主
代わらずの稽古で強くなった。その点でも異能だった。それ
にしても気になるのは増加傾向がまるで見えない井筒(元
逆鉾)部屋の4人、鏡山(元多賀竜)部屋の2人の弟子数で
ある。
(元濱錦)・立浪(元旭豊)など10部屋がまだ関取がいな
い。
部屋出身である。式秀部屋は時津風部屋から独立した元
大潮がおこした部屋である。現在は時津風一門外の北の湖
部屋出身の元北桜が継いでいる。高田川部屋は元前ノ山が
高砂部屋から独立した部屋である。そのあとを藤島ー二子山
部屋出身の元安芸乃島が継いでいる。ほかに春日山部屋を
追手風部屋出身の濱錦が継承した。。
部屋は伊勢ヶ濱部屋に変更した。安治川部屋時代は「安」
関部屋が、元金剛の代で消滅したため、名称を復活させた
のである。
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