大相撲

伊勢ヶ濱部屋のルーツ

2015年12月3日

伊勢ヶ濱部屋には照ノ富士、照強といった力士、呼出で
は照喜、照矢がいて「照」の字がそれなりに使用されて
いる。かつて伊勢ヶ濱部屋には照国という横綱がいた。
それにあやかったっているという見方がある。しかし、現
在の伊勢ヶ濱部屋は照国が所属していた伊勢ヶ濱部屋
とは何のつながりもない。通常、部屋の名前は年寄名に
している。しかし、年寄名は固有名詞ではない。だから
ややこしさを生む。
150524千秋楽表彰 113
<師匠伊勢ヶ濱から優勝旗を渡される照ノ富士>
 
伊勢ヶ濱部屋の師匠は元横綱旭富士である。伊勢ヶ濱を
名のる前は安治川であった。だから、部屋の力士四股名
には「安」の文字が使われていた。安美錦はその当時の
四股名である。旭富士は現役時代、大島部屋(元大関旭
国)に所属していた。旭国は立浪(元2代目羽黒山(前
名安念山))部屋所属だった。つまり、現在の伊勢ヶ濱
部屋のルーツは立浪なのである。双葉山がおこした時津
風部屋、及び時津風部屋から独立した部屋のルーツも立
浪である。

それでは横綱照国の伊勢ヶ濱部屋はどうなのか。こちら
の伊勢ヶ濱部屋は大正のわざ師清瀬川がおこした部屋で
ある。清瀬川のあとは弟子の照国が部屋をついだ。だが、
先代が引退するまでは荒磯だったため、一時期荒磯部屋
であった。その後正式に伊勢ヶ濱部屋となった。照国の
あとは元大関清国が継いだが、部屋は縮小していき、定
年を迎えた。そのあとを部屋付き親方だった若藤(元和
晃)が継いだものの、すぐ定年を迎えた。後継者はなく、
力士は桐山部屋に併合された。
照国
<照国のブロマイド>
 
以前は一門内で処理された相撲部屋の継承も近年は複雑
な様相を見せている。高砂(元横綱朝潮)から独立した
高田川(元前の山)部屋は一門外の元安芸乃島が継いで
いる。時津風(元大関豊山)部屋から独立した式秀(元
大潮)部屋は出羽一門の元北桜が継承した。間垣(元横
綱2代目若乃花)部屋は部屋を閉鎖するにあたって、一
門外だが、同郷青森の元旭富士に弟子を託した。

それほど遡らなくても、ルーツが異なる木瀬部屋、田子
ノ浦部屋があった。北の富士が九重(元横綱千代の山)
部屋から独立したときは井筒部屋であった(後元千代の
山の死去によりこ九重部屋と一緒になった)。部屋の名
称を年寄名にしている限り、このややこしさはまだまだ
続きそうである。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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