これまで稀勢の里のことを6場所制最強大関
と称してきた。1場所平均10勝以上あげた
大関は稀勢の里だけだった。しかし、稀勢の
里は横綱に昇進して、大関ではなくなった。
過去のものになった。しかし、横綱になった
力士でも、実績は大関時代が上という者も
いる。そこで横綱の大関時代と稀勢の里の
大関時代を比較してみた。対象は横綱が実質
地位化された常陸山以降とする。常陸山から
数えて稀勢の里は50人目である。
◆横綱の大関在位
稀勢の里の大関在位は31場所である。5年と
1場所である。大関在位が長いといわれた
佐田の山はそれでも17場所であった。しかし、
この記録はすぐさま破られた。北の富士、
玉の海が同日横綱に昇進したとき、北の富士
は21場所、玉の海は20場所大関在位であった。
横綱になるという事態が発生した。そうする
と最盛期を過ぎていた琴桜がワンチャンスを
モノにして横綱に昇進した。琴桜は大関在位
32場所とさらに記録を上回った。その後武蔵
丸が琴桜とタイ記録の32場所大関在位の記録
をつくった。ただし、琴桜が横綱になった
ときは32歳であったが、武蔵丸は28歳であっ
た。
稀勢の里の大関在位31場所は第3位の記録で
ある。ちなみに第4位は3代目若乃花の29
場所である。
◆横綱の大関勝率
稀勢の里の大関時代の勝率は7割1分4厘で
ある。横綱になるような強者においては、
上には上がいる。横綱の大関時代の最高勝率
は双葉山の10割である。8割以上が17人いる。
稀勢の里は50人中42位である。ただし、現役
の日馬富士、鶴竜よりは上である。ちなみに
NHKの解説者である北の富士さんの大関
時代の勝率は、下から数えて3番目である。
横綱の大関時代での最多優勝は、貴乃花と
武蔵丸の5回である。4回が4人いる。稀勢
の里は1回だから下位のほうと思いがちだが、
25位タイである。なにしろ横綱の大関時代で
優勝なしが6人いる。あなたはどれくらい
思い浮かぶであろうか。答は武蔵山、男女ノ
川、安芸ノ海、照国、三重ノ海、双羽黒である。
川、安芸ノ海、照国、三重ノ海、双羽黒である。
過去の成績はいまさらどうしようもない。
稀勢の里にとって大事なのは横綱の実績で
ある。横綱勝率、横綱優勝回数をあげていっ
て、稀勢の里の存在価値を示していただき
たい。
白鵬杯で把瑠都を見かけました。
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よしなに
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