大相撲

稀勢の里、大関時代の位置づけ

2017年1月29日

これまで稀勢の里のことを6場所制最強大関
と称してきた。1場所平均10勝以上あげた
大関は稀勢の里だけだった。しかし、稀勢の
里は横綱に昇進して、大関ではなくなった。
過去のものになった。しかし、横綱になった
力士でも、実績は大関時代が上という者も
いる。そこで横綱の大関時代と稀勢の里の
大関時代を比較してみた。対象は横綱が実質
地位化された常陸山以降とする。常陸山から
数えて稀勢の里は50人目である。

◆横綱の大関在位
稀勢の里の大関在位は31場所である。5年と
1場所である。大関在位が長いといわれた
佐田の山はそれでも17場所であった。しかし、
この記録はすぐさま破られた。北の富士、
玉の海が同日横綱に昇進したとき、北の富士
は21場所、玉の海は20場所大関在位であった。
170127稀勢の里明治神宮 049
玉の海が現役で亡くなり、北の富士が一人
横綱になるという事態が発生した。そうする
と最盛期を過ぎていた琴桜がワンチャンスを
モノにして横綱に昇進した。琴桜は大関在位
32場所とさらに記録を上回った。その後武蔵
丸が琴桜とタイ記録の32場所大関在位の記録
をつくった。ただし、琴桜が横綱になった
ときは32歳であったが、武蔵丸は28歳であっ
た。

稀勢の里の大関在位31場所は第3位の記録で
ある。ちなみに第4位は3代目若乃花の29
場所である。

◆横綱の大関勝率
稀勢の里の大関時代の勝率は7割1分4厘で
ある。横綱になるような強者においては、
上には上がいる。横綱の大関時代の最高勝率
は双葉山の10割である。8割以上が17人いる。
稀勢の里は50人中42位である。ただし、現役
の日馬富士、鶴竜よりは上である。ちなみに
NHKの解説者である北の富士さんの大関
時代の勝率は、下から数えて3番目である。
170127稀勢の里明治神宮 199
◆横綱の大関時代の優勝
横綱の大関時代での最多優勝は、貴乃花と
武蔵丸の5回である。4回が4人いる。稀勢
の里は1回だから下位のほうと思いがちだが、
25位タイである。なにしろ横綱の大関時代で
優勝なしが6人いる。あなたはどれくらい
思い浮かぶであろうか。答は武蔵山、男女ノ
川、安芸ノ海、照国、三重ノ海、双羽黒である。

過去の成績はいまさらどうしようもない。
稀勢の里にとって大事なのは横綱の実績で
ある。横綱勝率、横綱優勝回数をあげていっ
て、稀勢の里の存在価値を示していただき
たい。

白鵬杯で把瑠都を見かけました。

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よしなに
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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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