琴櫻の金星配給率

琴櫻は柔道少年だった。その影響か、若手のころは左下手を取って
投げにいく相撲だった。昭和39年一月場所、柏戸戦で右踝骨折・右
膝関節脱臼により休場。翌場所全休で十両まで番付を下げた。これ
が転機になってぶちかましてのど輪の相撲に変えた。柏戸には思い
切ってあたり、柏戸の胸が真っ赤になった。ニックネームは猛牛だ
った。

琴櫻の関脇・小結時代、8場所連続在位記録している。琴櫻が大関
に昇進して記録はストップした。このとき琴櫻とともに大関を目指
していたのが麒麟児(後の大麒麟)である。琴櫻と同じ3場所32勝
だったが、大関昇進はならなかった。琴櫻は大関5場所目に初優勝
している。

昭和47年三月場所、大関同士の一番で無気力相撲が摘発された。大
関琴櫻対大関前の山戦だった。大関前の山はこの場所カド番で11日
目まで5勝6敗とピンチ。一方琴桜は7勝4敗と勝ち越しのメドが
たっていた。相撲は、琴櫻が星を譲った相撲ととらえられた。監察
委員会が不自然ととらえ、立ち合いが無気力と認定した。前の山は
休場して大関から陥落した。

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琴櫻は誰しも大関で終わると思った。だが、大関31場所目、32場所
目に連続優勝してしまった。当時は北の富士の一人横綱だった。し
かし、琴櫻は32歳で将来性はなかった。無気力相撲で注意を受けた
過去も指摘された。琴櫻が横綱になってもならなってもなくても困
る状態だった。

琴櫻の金星配給率

琴櫻は晩年横綱になったため8場所在位と短命であった。横綱時代
の平幕戦は37勝11敗だった。金星配給率は23%であった。7番平幕
戦があれば1.6個提供していることになる。豊山に2個提供してい
る。また、新入幕の大錦に負け、金星を与えてしまったことがあっ
た。

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この記事を書いた人

少年漫画雑誌、日経関連の編集者を経て独立。現在は大相撲を専門に取材するライター。ほぼ毎場所、自ら土俵際で撮影している。にほんブログ村 相撲・大相撲カテゴリでランキング1位。

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