大相撲

検証! 4横綱の時代1

2016年6月21日

横綱に一番近い大関稀勢の里は、七月場所に横綱をかけ
る。稀勢の里が、横綱に昇進した場合、4横綱になる。4横
綱というと華やかで、4人いるのだから優勝は独占している
のでは、と思いがちである。「賢者は歴史に学び、愚者は
体験に学ぶ」という言葉があるが、実際はどうだったのか。
歴史を検証してみよう。

実質上、横綱が地位化されたのは常陸山からである。常
陸山以降初めて4横綱が誕生したのは、大正6年夏場所
であった。出羽ノ海部屋の大錦が横綱に昇進することに
よって初めて実現した。ところが、この歴史的場所は太刀
山全休、鳳・2代目西ノ海は途中休場するありさまだった。
新横綱の大錦は一人奮闘して9勝1敗の好成績を残したが、
優勝は大関栃木山が手中にした。
大正A
大錦・太刀山・鳳・2代目西ノ海の4横綱の番付は翌場
所も続いた。しかし、全休が2人出て、4横綱が皆勤す
ることはついになかった。この場所の優勝も大関栃木山
であった。太刀山はこの場所限りで引退した。
横綱 大錦
<大錦のブロマイド>
 
大正7年夏場所、太刀山の引退と入れ代わるように、栃
木山が横綱に昇進した。ところが3横綱が休場し、4横綱
の皆勤からほど遠い状態であった。一人横綱の栃木山は
9勝1敗で優勝し、3連覇を達成した。栃木山はこの後の
場所も2連覇し、5連覇という偉業をなしとげた。大正期の
4横綱時代は、勝ち星39に対し、休場数71という異常な
状態であった。あまりにも休場数が多すぎるという、4横綱
時代の前途多難を暗示させる結果となった。
栃木山
<栃木山のブロマイド>
 
6月も後半に突入。
興味深いテーマをこれからも届けます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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