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検証! 4横綱の時代1

横綱に一番近い大関稀勢の里は、七月場所に横綱をかけ
る。稀勢の里が、横綱に昇進した場合、4横綱になる。4横
綱というと華やかで、4人いるのだから優勝は独占している
のでは、と思いがちである。「賢者は歴史に学び、愚者は
体験に学ぶ」という言葉があるが、実際はどうだったのか。
歴史を検証してみよう。
実質上、横綱が地位化されたのは常陸山からである。常
陸山以降初めて4横綱が誕生したのは、大正6年夏場所
であった。出羽ノ海部屋の大錦が横綱に昇進することに
よって初めて実現した。ところが、この歴史的場所は太刀
山全休、鳳・2代目西ノ海は途中休場するありさまだった。
新横綱の大錦は一人奮闘して9勝1敗の好成績を残したが、
優勝は大関栃木山が手中にした。
大正A
大錦・太刀山・鳳・2代目西ノ海の4横綱の番付は翌場
所も続いた。しかし、全休が2人出て、4横綱が皆勤す
ることはついになかった。この場所の優勝も大関栃木山
であった。太刀山はこの場所限りで引退した。
横綱 大錦
<大錦のブロマイド>
 
大正7年夏場所、太刀山の引退と入れ代わるように、栃
木山が横綱に昇進した。ところが3横綱が休場し、4横綱
の皆勤からほど遠い状態であった。一人横綱の栃木山は
9勝1敗で優勝し、3連覇を達成した。栃木山はこの後の
場所も2連覇し、5連覇という偉業をなしとげた。大正期の
4横綱時代は、勝ち星39に対し、休場数71という異常な
状態であった。あまりにも休場数が多すぎるという、4横綱
時代の前途多難を暗示させる結果となった。
栃木山
<栃木山のブロマイド>
 
6月も後半に突入。
興味深いテーマをこれからも届けます。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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