昭和46年十一月場所から昭和48一月場所までの8場所を
北の富士が一人横綱を務めてから一人横綱はしばらく出
なかった。次に一人横綱になったのは北の富士の弟子に
あたる千代の富士であった。隆の里の引退によって昭和
61年三月場所からわずか3場所であるが、一人横綱を務
めた。この間、16回目、17回目の優勝を達成している。
翌場所双羽黒が横綱に昇進して一人横綱は解消された。
同じく北の富士の弟子の北勝海が一人横綱を1場所務め
ている。しかし、晩年だったこともあり、翌場所の平成
4年五月場所前に引退している。ここから5場所横綱不
在の時代が続いた。
在の時代が続いた。
平成5年三月場所、外国人初の横綱になった曙によって
横綱不在は解消された。曙は一人横綱を11場務めた。こ
の間4回しか優勝していない。後から激しく追って来る
貴ノ花が同時期に5回優勝している。横綱昇進直前に貴
ノ花は15日制で初の連続全勝優勝を達成した。(後に日
馬富士も達成している)横綱貴乃花は新横綱の場所も制
し、時代は曙から貴乃花に完全に移っていった。
一人横綱の場所数でいうと曙の11場所は横綱が事実上地
位化された常陸山以降では新記録だった。だが、この記
録は次の一人横綱によって軽く破られてしまった。その
横綱は朝青龍である。朝青龍が横綱に昇進したとき、入
れ代わるように貴乃花は引退した。横綱は武蔵丸がいた
が、すでに晩年で休場が多く、朝青龍が横綱に昇進して
6場所後に引退した。
朝青龍が一人横綱になったのは平成16年一月場所からで
ある。平成19年の五月場所まで21場所務めた。この間、
朝青龍に対抗できる力士はいなく、16場所優勝している。
しかも朝青龍が得るのは優勝だけではない。一人横綱は
結びの一番を取り続ける。ということで懸賞がつく数が
必然的に多くなるということだ。懸賞は当時1本6万円
で、土俵上で3万円受け取れる。5000円は協会の諸経費
にまわり、2万5000円は力士ごとに積み立てられ、引退
時に渡される。朝青龍の引退時の積立金は退職金に相当
する養老金+勤続加算金を上まわったと聞いたことがあ
る。
<朝青龍>
さて、朝青龍の一人横綱は白鵬の横綱昇進で解消された。
ところが、その朝青龍が外部への暴力事件で事実上の強
制引退に追い込まれてしまった。それで白鵬の一人横綱
が始まった。平成22年三月場所からのことである。白鵬
の一人横綱は15場所で2位、この間10回優勝した。敵な
しであった。平成24年十一月場所、日馬富士の横綱昇進
によって白鵬の一人横綱は終止符をうった。
一人横綱を長く務めたのは朝青龍、白鵬と最近の力士で
ある。しかも、一人横綱の重圧を感じさせないどころか
他の力士を圧倒した。一人横綱のチャンスを存分に生か
したのはモンゴルの両雄であった。
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