大相撲

かつて宮城野部屋にあったいびつな形

2015年8月22日

横綱白鵬が所属する部屋は?横綱白鵬の師匠は?こうき
かれたら宮城野部屋、元竹葉山の宮城野と答えるだろう。
白鵬を新弟子のころから面倒をみ、育ててきたのはまぎ
れもなく元竹葉山の宮城野だった。ところがそうでない
いびつな形の時期があった。

事の経緯はこうだ。1989年廣川宮城野急逝後、部屋付き
の元竹葉山が部屋を継いだ。ここまではいい。ところが、
2004年8月26日より、北の湖部屋(横綱・北の湖)所属
の元十両・金親が廣川宮城野未亡人と養子縁組をした後
に廣川宮城野の次女と結婚し、宮城野を襲名して宮城野
部屋を継承した。これにより、元竹葉山は年寄熊ヶ谷に
名跡を変更して、宮城野部屋の部屋付き親方となってし
まった。

出羽一門出身の金親が宮城野を継いだことで通常なら宮
城野部屋は出羽一門になる。元竹葉山は自分の弟子とと
もに立浪・伊勢ヶ濱連合のどこかの部屋に所属するのが
慣例である。金親宮城野は自分で弟子を発掘し、育てて
こそ部屋をもつ意味がある。
110123千秋楽打ち上げ 033
<現熊ヶ谷(元金親)>
 
ところが、実際は白鵬はじめ元竹葉山の弟子の師匠がに
わかに縁もゆかりもない金親宮城野になってしまったの
だ。形式師匠と実質師匠が混在するいびつな形の部屋に
なってしまった。最初金親が宮城野になると聞いたとき、
龍皇は「おれたちどうなるんだ」と不安を口にしている。

白鵬が横綱に昇進する時、北の湖理事長は横綱審議委員
の内舘牧子氏に「白鵬の師匠は誰か」ときかれた。「そ
れは熊ヶ谷(元竹葉山)です。今まで熊ヶ谷がやってきた
し、これからもやるべき」と北の湖理事長は明言した。
宮城野部屋は一門が違う形式師匠と実質師匠が存在する
いびつな形の部屋のまま継続することになった。
090530白鵬
<現宮城野(元竹葉山)と白鵬>
 
昇進の使者を迎えるのは形式師匠の金親宮城野、プラベ
ートな席は実質師匠の竹葉山熊ヶ谷が同行した。このよ
うな使い分けが2004年8月から2010年12月まで6年以上
続いた。この形に終止符を打ったのは2007年5月に週刊
誌に掲載された記事だった。その内容は2006年七月場所
で白鵬に勝たせるよう金銭で工作したと知人の女性に語
ったという内容である。

この件は裁判ざたになり、協会は勝訴したものの金親宮
城野は協会の品位を傷つけたとして師匠の資格を失って
部屋付きの親方になるか、拒否して廃業するかの選択を
迫られた。金親宮城野は部屋付きの金親熊ヶ谷の道を選
択した。こうして元竹葉山が宮城野に師匠として返り咲
いて現在に至っている。

形式師匠と実質師匠のいびつな形は、現在いる弟子、今
後入門する新弟子のためにも、けしてあってはならない。

記事をお読みいただきありがとうございます
よければこちらをクリックいただけると幸いです。”土俵の目撃者”
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


相撲 ブログランキングへ 

にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村 

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑  

 

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

【ブログランキング】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック


【日本ブログ村】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村
  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

-大相撲
-

Copyright© 土俵の目撃者(毎日更新) , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.