1932(昭和7)年1月5日春場所の番付が発表された。
東 幕内 西
玉 錦大関武蔵山
能代潟張出大ノ里
清水川関脇天 竜
幡瀬川小結綾 桜
沖ツ海筆頭出羽ヶ嶽
鏡 岩 2 信夫山
朝 潮 3 和歌嶋
高 登 4 山 錦
錦 洋 5 藤ノ里
太郎山 6 大和錦
雷ノ峰 7 新 海
吉野山 8 高ノ花
若葉山 9 錦華山
古賀ノ浦10肥州山
寶 川 11 大 崎
大 潮 12 常盤野
綾ノ浪 13 常陸嶋
若瀬川 14 伊勢ノ濱
海光山 15 玉 碇
剣 岳 16 外ヶ濱
出羽海勢が東方から西方に変わり、そこへ西方はだった
錦華山が出羽海の方屋に移ってきた。西方は彼以外は
出羽海部屋の力士で占めていた。武蔵山が大関に昇進。
朝潮は後の男女ノ川である。
東 十両 西
常 昇 1 旭 川
金 湊 2 羽後響
銚子灘 3 太刀若
番神山 4 綾 昇
霞ヶ浦 5 盾 甲
双葉山 6 鳴 潮
潮ノ濱 7 駒 錦
磐 石 8 倭 岩
大 鶴 9 鳴戸潟
石 山 10 大ノ濱
綾 若 11 上宮山
事件は翌日の6日におきた。幕内西方の全力士20人と
十両の出羽系11人が品川大井町の中華料理店春秋園に
集結した。天竜は大相撲の近代化へ向け、力士生活の
安定化、大相撲の大衆化、協会の制度改善を訴えた。
天竜がまとめた10ヶ条をかみくだくいたのが以下である。
一、協会の会計制度、収支詳細の明朗化の確立
一、興行時間の改正
一、入場料を安くし大衆化をはかる
一、相撲茶屋の廃止
一、年寄制度を順次廃止
一、養老金(退職金)制度の確立
一、地方巡業制度の抜本的見直し
一、力士生活の安定を制度化
一、協会の無駄な人員の整理
一、力士協会の設立と力士共済制度の確立
改革をとなえて10ヶ条の要求決議書を協会に提出し、春秋園
にたてこもった。春秋園事件の勃発である。
これに対し協会は1月7日回答した。
一、会計の収支は従来決算表として公表しているが、なお
周知する。
二、入場料金の引き下げは今までも努力しているが、
次の場所よりさらに務める。興行時間の改正は力士の
健康、観客の便を考慮しつつ将来検討する。
三、茶屋制度の廃止は協会の財政上に関ることなので
よく検討した上で将来適当な時期に実施する。
四、力士の収入は今まで苦慮してきたが、将来財政の許す
範囲で希望にそうようにする。
五、養老金(退職金)制度は確立しつつあるが、財政上
遅れる傾向だが、今後は迅速に務める。
年寄制度は古い歴史と廃業力士の待遇上すぐに廃止には
できない。将来改善を検討する。
六、綱紀粛正には努力しつつ、将来は一致協力して成功
するように務める。無駄な人員は整理中であるが、将来
なお励む。
七、地方巡業は今までも検討してきたが、将来なお改善に
務める。
八、力士協会公認は将来考慮する。
協会の回答は具体性に欠けるとともに茶屋や年寄制度など
絶対飲めない項目があった。また協会は財政上赤字であり、
利息の支払いもままならなかった。感情的な協会に対し、
あまりにも誠意なき回答に憤慨した出羽系の力士たちは
1月9日脱退状を協会に提出。協会も除名破門で応じた。
あまりにも早い結論は後戻りできない状態へと突入した。
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