大相撲

栃煌山が影山と呼ばれていた時代

2014年10月23日

2006年七月場所初日、東西幕下の筆頭の影山と下田が激突
した。幕内で活躍する栃煌山にかつてあった十両をうかがう
日々。当時の彼の勇士を振り返ってみよう。
栃煌山
2006年大関白鵬が初優勝を達成した五月場所、幕下では
1枠しかない空きをめぐって十両昇進争いが繰り広げ
られていた。有力候補は3人、西幕下筆頭4勝3敗の龍皇、
西幕下3枚目5勝2敗の影山(後の栃煌山)、幕下15枚目
格付け出しで7戦全勝の下田(後の若圭翔)である。

幕下15枚目以内で7戦全勝なら昇進という規定があったが、
15枚目と15枚目格は違う、下田も有力候補だが第一候補
ではないということで結局西幕下筆頭4勝3敗の龍皇が
十両へ昇進した。影山は東幕下筆頭、下田は西幕下筆頭に
据え置かれた。

そんな背影の中、七月場所で東西幕下筆頭の両者は初日に
激突した。連続写真で紹介しよう。このときの勝敗がその
まま後の明暗を分けた。龍皇、影山が入幕したのに対し
若圭翔のみ、いまだに幕下で停滞している。
栃煌山1
栃煌山2
栃煌山3
<景山対下田 左上から左下、右上から右下にご覧ください>

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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