九月場所は新入幕逸ノ城の活躍で優勝を争う者同士として
横綱白鵬対逸ノ城戦が14日目に急遽組まれた。そのため、
実現しなかった取組があった。横綱白鵬対大関琴奨菊戦
である。こうなる原因の1つは終盤に横綱・大関戦が
集中的に組まれていることによるものである。
優勝を争っている横綱・大関なら対戦は終盤でいい。
しかし、序盤で優勝争いから脱落した大関・横綱は早々と
当てるようにしてはいかがか。九月場所でいえば琴奨菊と
豪栄道は中盤で横綱戦、大関戦をある程度組んでしまう
のである。
部屋別総当たり制が始まった1965(昭和40)年一月場所は
前半から横綱-大関戦が組まれた。しかし、これは系統別
総当たりでこれまで対戦のなかった同系統、例えば出羽海
部屋の大関佐田の山と春日野部屋の横綱栃ノ海・大関栃光
の対戦が変な目で見られないようにするためであった。
1972(昭和47)年三月場所は初日に大関大麒麟と大関
前の山、五日目に横綱北の富士と大関大麒麟、六日目に
大関琴桜と大関清国が組まれている。このころ大関は4人
いたが互助会と思われる相撲が目立っていたことに対する
措置であったようだ。
同じ年の九月場所は五日目に横綱北の富士対大関大麒麟、
8日目に大関琴桜と大麒麟が組まれた。翌場所の十一月
場所も横綱北の富士と大関大麒麟は6日目に組まれた。
また、初日に大関輪島と大関大麒麟、6日目に大関輪島と
大関琴桜、大関貴ノ花と大関清国が組まれている。
過去に前例がないわけではないので、少なくとも平幕中位・
下位で勝ち進む力士がいる場合は、序盤で優勝争いから
脱落した大関は横綱戦・大関戦を早々と実現させる工夫が
あってもいい。取組編成にさらなる工夫を望む、
興味深いテーマをこれからもお届けます。
マーク2カ所をクリックして支援してください。
よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↑↑↑↑↑↑↑↑。