大相撲

佐田の山死去 その現役と理事長時代をふり返る

2017年5月2日

元横綱そして元理事長であった佐田の山が、
肺炎で4月27日に都内の病院で亡くなられた
ことがわかった。79歳であった。協会退任後
は、ほとんど消息を聞くことがなかった。
横綱の没年順は以下である。
没年1A
横綱没年順A
佐田の山の四股名は、旧姓の佐々田からきて
いる。現在「佐田」を頭につける四股名は
境川(元両国=前名小林山)部屋に多く見ら
れるが、元祖は佐田の山である。入幕は昭和
36年一月場所である。大鵬入幕の1年後で
あった。突っ張りを得意とし、闘志あふれる
相撲だった。
佐田の山
<突っ張りの佐田の山>
 
入幕3場所後には、前頭13枚目で平幕優勝
している。当時は平幕中位・下位で勝ち進ん
でも、横綱・大関と対戦することはなかった。
佐田の山が次に脚光を浴びたのは、入幕8場
所目の関脇で横綱大鵬を優勝決定戦で退け、
2度目の優勝を決めたときである。大鵬は
4連覇中であった。「平幕優勝者は大関に
なれない」というジンクスを破って、大関に
昇進した。佐田の山が苦労したのは、ここ
からである。

大関で優勝がなかなかなく、横綱は栃ノ海に
先んじられることになってしまった。一番
大きかったのは大鵬の壁である。結局佐田の
山は大関17場所かかって横綱に昇進した。
大関17場所は当時長いと言われた。大鵬との
対戦成績は、6勝28敗(優勝決定戦含む 横綱
同士では4勝8敗)と差はあったが、相撲
内容は熱戦が多く、内容があった。横綱で
2連覇した後、「精魂つき果てた」という
言葉を残し、昭和43年三月場所で引退した。
30歳、優勝は6回であった。
 
大鵬が優勝したときの次点は以下をクリック
して参照していただきたい。次点は横綱・
大関戦があり、同点の場合は番付上位に
している。

 

佐田の山晋松
<佐田の山のパネル>
 
引退後は出羽海を襲名して、岳父(元出羽ノ
花)から部屋を譲り受けた。岳父は武蔵川に
もどり、理事長として手腕をふるった。当時
出羽ノ花-栃錦-佐田の山が理事長の規定
路線になると思われていた。武蔵川(元出羽
ノ花)の権勢が大きく、春日野(元栃錦)は
つなぎと見る方もいたほどである。実際は
そういうことはなく、春日野(元栃錦)が
好敵手二子山(若乃花)に禅譲した後、平成
4年2月出羽海(元佐田の山)が理事長に
就任した。
出羽海!A
<大出羽海構想の記事>
 
新理事長は新しい感覚で協会運営にのり出す
と期待された。部屋は元両国(前名国岩)の
出羽海以来続いた分家独立を許さず、という
不文律にとらわれず、分家を許した。佐田の
山の出羽海から三重ノ海が独立した。平成
8年、部屋を元鷲羽山に譲り、境川として
理事長職に専念する。この年の9月年寄株を
協会帰属、売買禁止策を打ち出したが、総ス
カン状態になり、理事長退陣の要因になった。
境川(元佐田の山)の理事長辞職は、60歳前
であり、志半ばであった。

さようなら力量一杯に相撲を取った佐田の山

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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