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佐田の山死去 その現役と理事長時代をふり返る

元横綱そして元理事長であった佐田の山が、
肺炎で4月27日に都内の病院で亡くなられた
ことがわかった。79歳であった。協会退任後
は、ほとんど消息を聞くことがなかった。
横綱の没年順は以下である。
没年1A
横綱没年順A
佐田の山の四股名は、旧姓の佐々田からきて
いる。現在「佐田」を頭につける四股名は
境川(元両国=前名小林山)部屋に多く見ら
れるが、元祖は佐田の山である。入幕は昭和
36年一月場所である。大鵬入幕の1年後で
あった。突っ張りを得意とし、闘志あふれる
相撲だった。
佐田の山
<突っ張りの佐田の山>
 
入幕3場所後には、前頭13枚目で平幕優勝
している。当時は平幕中位・下位で勝ち進ん
でも、横綱・大関と対戦することはなかった。
佐田の山が次に脚光を浴びたのは、入幕8場
所目の関脇で横綱大鵬を優勝決定戦で退け、
2度目の優勝を決めたときである。大鵬は
4連覇中であった。「平幕優勝者は大関に
なれない」というジンクスを破って、大関に
昇進した。佐田の山が苦労したのは、ここ
からである。
大関で優勝がなかなかなく、横綱は栃ノ海に
先んじられることになってしまった。一番
大きかったのは大鵬の壁である。結局佐田の
山は大関17場所かかって横綱に昇進した。
大関17場所は当時長いと言われた。大鵬との
対戦成績は、6勝28敗(優勝決定戦含む 横綱
同士では4勝8敗)と差はあったが、相撲
内容は熱戦が多く、内容があった。横綱で
2連覇した後、「精魂つき果てた」という
言葉を残し、昭和43年三月場所で引退した。
30歳、優勝は6回であった。
 
大鵬が優勝したときの次点は以下をクリック
して参照していただきたい。次点は横綱・
大関戦があり、同点の場合は番付上位に
している。

 

佐田の山晋松
<佐田の山のパネル>
 
引退後は出羽海を襲名して、岳父(元出羽ノ
花)から部屋を譲り受けた。岳父は武蔵川に
もどり、理事長として手腕をふるった。当時
出羽ノ花-栃錦-佐田の山が理事長の規定
路線になると思われていた。武蔵川(元出羽
ノ花)の権勢が大きく、春日野(元栃錦)は
つなぎと見る方もいたほどである。実際は
そういうことはなく、春日野(元栃錦)が
好敵手二子山(若乃花)に禅譲した後、平成
4年2月出羽海(元佐田の山)が理事長に
就任した。
出羽海!A
<大出羽海構想の記事>
 
新理事長は新しい感覚で協会運営にのり出す
と期待された。部屋は元両国(前名国岩)の
出羽海以来続いた分家独立を許さず、という
不文律にとらわれず、分家を許した。佐田の
山の出羽海から三重ノ海が独立した。平成
8年、部屋を元鷲羽山に譲り、境川として
理事長職に専念する。この年の9月年寄株を
協会帰属、売買禁止策を打ち出したが、総ス
カン状態になり、理事長退陣の要因になった。
境川(元佐田の山)の理事長辞職は、60歳前
であり、志半ばであった。
さようなら力量一杯に相撲を取った佐田の山

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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