大相撲

四股名あれこれ 春日野部屋編

2017年4月26日

春日野部屋の四股名で誰しも思い浮かべる
のは、四股名の頭に「栃」の字がつくこと
であろう。あるいは一昔前のファンなら、
栃錦-栃ノ海-栃東と続く小兵名人の系譜で
あろうか。春日野部屋の力士の四股名に「栃」
がつくのは、出羽海部屋から独立した大正の
大横綱栃木山がおこした部屋であることから
きている。
栃木山
<栃木山のブロマイド>
 
それでは、栃木山以前に「栃」が頭につく
力士はいたのか。江戸、明治、大正の幕内
力士を調べてみたが、皆無であった。

春日野部屋は栃木山-栃錦-栃ノ海-栃乃
和歌と4代にわたって、引き継がれてきた。
その間幕内力士は、師匠の急死にともない
田子ノ浦(元久島海)部屋から移籍してきた
碧山を別にすると、35人の幕内力士を誕生
させてきた。

最初の幕内力士は、戦前の鹿島洋である。
入幕したのが、昭和13年夏場所だから、部屋
をおこして約7年経っていた。続いたのが
神東山、相模川である。このころの幕内力士
は特に「栃」の字はつかなかった。
栃錦
<栃錦のブロマイド>
 
戦後、春日野部屋の入幕第1号は因州山で
あり、第2号は栃錦である。ここで初めて
「栃」の字がつく四股名が登場する。しかも
将来横綱にまで上り詰め、初代若乃花ととも
に時代を築いた力士である。しかし、この後
入幕した力士は大江戸、鳴門海で「栃」とは
無縁であった。特筆すべきは鳴門海である。
鳴門海独特の狛犬の仕切りは無形文化財と
呼ばれるほど見事なものであった。

この後入幕したのは、栃光、八染(やそめ=
本名)、栃ノ海、一乃矢と「栃」の字は交互
に登場するようになった。栃光は大関に、
栃ノ海は横綱に昇進して栃錦の時代に続いて
春日野部屋が花開いた時期であった。
栃ノ海
<栃ノ海>
 
「栃」の字が目立つようになったのは、栃錦
が春日野になってからだと思う。栃王山、
若鳴門、栃東(父)、栃富士、栃勇、巌虎、
栃光(前名金城)、和錦(かつにしき)、
舛田山、栃赤城、蜂矢(本名)、栃剣、栃司、
栃纏(とちまとい)と続く。春日野勢が勝ち
越すと、「ふうむ、また土地(栃)が上がる
のか」と詠んだ方がいた。栃東(父)、舛田
山、栃司は後に独立している。

この後は、「栃」の花盛りである。栃乃和歌、
栃乃藤、栃乃洋、栃乃花、栃栄、春日錦、
栃煌山、栃ノ心、木村山、栃乃若と続く。
一部を除いて、親方、現役として活躍して
いる。木村山は、行司に木村があるから、
一時的な便宜上の四股名と思っていた。それ
だけに、最後まで木村山で通すとは思わなか
った。
150519十日目南門 478
<栃ノ心>
 
春日野部屋の幕内力士は35人。そのうち「栃」
が頭につく四股名は20人である。6割弱で
あるのは意外な結末である。

四股名の調査はどうしても時間がかかり
ます。
興味深いテーマをこれからもお届けます。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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