春日野部屋の四股名で誰しも思い浮かべる
のは、四股名の頭に「栃」の字がつくこと
であろう。あるいは一昔前のファンなら、
栃錦-栃ノ海-栃東と続く小兵名人の系譜で
あろうか。春日野部屋の力士の四股名に「栃」
がつくのは、出羽海部屋から独立した大正の
大横綱栃木山がおこした部屋であることから
きている。
<栃木山のブロマイド>
それでは、栃木山以前に「栃」が頭につく
力士はいたのか。江戸、明治、大正の幕内
力士を調べてみたが、皆無であった。
春日野部屋は栃木山-栃錦-栃ノ海-栃乃
和歌と4代にわたって、引き継がれてきた。
その間幕内力士は、師匠の急死にともない
田子ノ浦(元久島海)部屋から移籍してきた
碧山を別にすると、35人の幕内力士を誕生
させてきた。
碧山を別にすると、35人の幕内力士を誕生
させてきた。
最初の幕内力士は、戦前の鹿島洋である。
入幕したのが、昭和13年夏場所だから、部屋
をおこして約7年経っていた。続いたのが
神東山、相模川である。このころの幕内力士
は特に「栃」の字はつかなかった。
戦後、春日野部屋の入幕第1号は因州山で
あり、第2号は栃錦である。ここで初めて
「栃」の字がつく四股名が登場する。しかも
将来横綱にまで上り詰め、初代若乃花ととも
に時代を築いた力士である。しかし、この後
入幕した力士は大江戸、鳴門海で「栃」とは
無縁であった。特筆すべきは鳴門海である。
鳴門海独特の狛犬の仕切りは無形文化財と
呼ばれるほど見事なものであった。
この後入幕したのは、栃光、八染(やそめ=
本名)、栃ノ海、一乃矢と「栃」の字は交互
に登場するようになった。栃光は大関に、
栃ノ海は横綱に昇進して栃錦の時代に続いて
春日野部屋が花開いた時期であった。
<栃ノ海>
「栃」の字が目立つようになったのは、栃錦
が春日野になってからだと思う。栃王山、
若鳴門、栃東(父)、栃富士、栃勇、巌虎、
栃光(前名金城)、和錦(かつにしき)、
舛田山、栃赤城、蜂矢(本名)、栃剣、栃司、
栃纏(とちまとい)と続く。春日野勢が勝ち
越すと、「ふうむ、また土地(栃)が上がる
のか」と詠んだ方がいた。栃東(父)、舛田
山、栃司は後に独立している。
この後は、「栃」の花盛りである。栃乃和歌、
栃乃藤、栃乃洋、栃乃花、栃栄、春日錦、
栃煌山、栃ノ心、木村山、栃乃若と続く。
一部を除いて、親方、現役として活躍して
いる。木村山は、行司に木村があるから、
一時的な便宜上の四股名と思っていた。それ
だけに、最後まで木村山で通すとは思わなか
った。
春日野部屋の幕内力士は35人。そのうち「栃」
が頭につく四股名は20人である。6割弱で
あるのは意外な結末である。
四股名の調査はどうしても時間がかかり
ます。
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