大相撲

検証!4横綱の時代 3

2016年6月25日

戦後の横綱には2つの特徴がある。一つは横綱の権威が
揺らいだこと。もう一つは横綱量産の時代であった。大関で
ちょっといい成績をあげると横綱に上がれた時代であった。
 
戦後1A
終戦直後4横綱継続の時代はあったが、双葉山引退後の
戦後初の4横綱は、東富士の新横綱昇進によって昭和24
年春場所生まれた。しかし、その場所は先輩横綱羽黒山、
照國が全休、前田山が途中休場というしまらないスタートと
なった。東富士は孤軍奮闘して優勝した。
東富士
<東富士のブロマイド>
 
4横綱のなかで、前田山は横綱として満足がいく成績が
まるで残せない。6勝5敗、1敗10休、3勝6敗2休で4横
綱時代を迎えていた。要するに前田山は横綱の責任を果
たせず、横綱の権威を汚していた。

羽黒山、照國、前田山、東富士の4横綱時代は3場所目
を迎えた、昭和24年秋場所が大阪で開催された。この場
所、前田山は初日の1勝しかできず、5連敗。途中休場
して帰京した。東京では戦後初めてアメリカ野球が来日
していた。といってもメジャーリーグではなく、3Aのシー
ルズというチームであった。
前田山 
<前田山のブロマイド>
 
野球好きの前田山は、後楽園球場に観戦に行った。そこ
で、記者の注文に応じ、アメリカの監督と握手した。これが
新聞に掲載され、協会の怒りをかった。休場中の横綱が
野球観戦とは不謹慎でけしからんというのである。結局、
前田山は詰め腹を切る形で引退させらた。戦後初の4横
綱時代はこうして3場所で終了した。

横綱格下げ論はこの翌場所におきた。

6月じめじめした日が続きます。
興味深いテーマをこれからも届けます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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