大相撲

半世紀を経過した部屋別総当たり制2

2016年2月14日

昭和39年9月、時津風(元双葉山)理事長は取締会で高
砂(元前田山)、出羽海(元出羽ノ花)、ニ所ノ関(元佐賀ノ
花)に部屋別総当たりについて諮った。なお、立浪(元羽
黒山)は欠席した。その上で場所の14日目に緊急理事
会を徴集した。理事会は前記4人と楯山(元幡瀬川)、秀
の山(元笠置山)、伊勢ヶ濱(元照國)、花籠(元大ノ海)、
立田川(元鏡里)、白玉(元大八洲)、若松(鯱ノ里)、東
関(元天城山)、春日野(元栃錦)、錦島(元大蛇山)で行
われた。
時津
<時津風>
 
そこでは、部屋別総当たりに流れは傾いていた。情にお
いて忍びないという感情論は論理的反対にはなりえなか
った。それでも、難色派は、反対はしないがという前提で、
問題点を提起してきた。
1.実施はある程度時期をおき、問題を解決する委員会
を設置する。
2.小部屋は力士養成が困難になる。
3.実施に伴う派生的な事項を研究してから、決議すべ
きである。など
しかし、実施は一月場所からとした。時津風(元双葉山)
理事長は「いつまで延ばしていても同じだ」と英断をくだ
した。大相撲ファンが歓喜したのはいうまでもない。
大鵬
<大鵬>
 
明けて昭和40年部屋別総当たり制が行われた。初日、横
綱大鵬と新鋭の小結玉乃島が組まれた。この一番で玉乃
島が内がけで大鵬を倒したのである。新しい取組に新鮮
さと驚きをもって迎えられた。

注目は大関佐田の山対横綱栃ノ海及び大関栃光戦であ
った。大関佐田の山対横綱栃ノ海は異例の4日目に実現
した。佐田の山にやりにくさが見えたが、勝負はうっちゃっ
て佐田の山の勝ちとなった。
佐田の山
<佐田の山>

佐田の山対栃光戦は7日目におこなわれた。佐田の山
やや精彩なく、栃光の勝利となった。記念すべき?部屋
別総当たり制は大関佐田の山が13勝2敗で優勝し、横
綱昇進を決めた。

(この項目終わり)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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