引き続き時代を築いた横綱の大関時代をみていこう。
栃錦は関脇で14勝1敗で優勝して大関に昇進した。新大関
こそ11勝4敗だったが翌場所14勝1敗で優勝、さらに
翌場所は13勝2敗で横綱近しを思わせた。だが、ここから
3場所連続1ケタ勝利に終わった。特に13勝直後の8勝
は暴飲暴食が原因だった。千日の苦労1日に欠くと師匠
春日野(元栃木山)の怒りに対し、連続優勝して横綱を
決めた。
初代若乃花は関脇時代は内容はあるが、星が不十分で
あった。若乃花は星が足りないまま大関に昇進したことで
大関の責任を果たすべく猛稽古をし、期待に応えた。
鏡里の横綱時代、記者が「明日は若ノ花(大関時代は
ノの字)ですがいかがですか」と聞くと鏡里は「こっちは
横綱だよ」と憤慨したが、そう聞かざるを得ないほど
大関時代の若乃花は鬼気迫るものがあった。
大鵬が大関に昇進したときは、栃錦は引退、朝潮は下降線、
若乃花は同系統で対戦がなかった。それでも大関3場所は
優勝から遠ざかっていた。その後連続優勝で横綱昇進を
決めた。当時の大鵬はまだ絶対的強者とはいえなかった。
柏戸の前褌を取って走る(出るではなく走る)相撲に
毎場所苦戦していた。
怪童といわれた北の湖は貴ノ花、魁傑を押しのけ台頭して
きた。大関在位3場所は年6場所制になって最短。(後に
千代の富士・朝青龍が達成)しかし、北の湖にとって壁と
なったのは横綱輪島であった。連続優勝で横綱を決定的に
せんとする北の湖、千秋楽をむかえ1敗。輪島2敗で
激突した結びの一番は輪島が左前褌右おっつけから下手
投げで優勝決定戦になった。優勝決定戦は本割の再現
だった。北の湖にとっては暫くは輪島に勝てない時期が
続いた。
<北の湖>
千代の富士は投げ技から前褌を取って出る相撲になって
から強さを増した。関脇での初優勝の勢いをそのままに
大関3場所で横綱を決めた。このころ横綱三重ノ海は引退、
2代目若乃花は下降線であった。北の湖は千代の富士の
大関時代すでに22回優勝(最終は24回)を達成していた。
時代は移り変わらんとしていたときであった。
貴乃花の大関時代は11場所と数々の年少記録を達成して
きた割に長い。しかもこの間5度と半分近く優勝して
いるのである。成績は以下である。
11勝4敗
14勝1敗優勝
13勝2敗
12勝3敗
7勝8敗
14勝1敗優勝
11勝4敗
14勝1敗優勝
11勝4敗
15勝 優勝
15勝優勝
以前なら昇進機会があったケースがあるが、このころは
連続優勝が絶対条件の時代であった。めぐりあわせが
悪かったとしかいいようがない。師匠の元貴ノ花は14勝
優勝、11勝、15戦全勝優勝で横綱に昇進できなかったとき
「りっぱな成績だと思うけどねえ」と残念がっていたほど
である。貴乃花は15日制になって初めて連続全勝優勝で
横綱に昇進した。(後日馬富士が達成)
朝青龍の大関時代は完全に時代の節目であった。横綱は
貴乃花と武蔵丸がいたが、朝青龍が新大関の場所に貴乃花
が最後のフル出場した場所であった。武蔵丸は朝青龍が
大関2場所目に途中休場し、その後3場所連続全休、途中
休場、全休後場所中引退した。朝青龍は強敵のいない中で
破竹の快進撃をしていった。大関は3場所で年6場所制
最短タイ記録。大関勝率8割4分4厘は千代の富士と
並んで年6場所制で最高勝率である。
白鵬は新大関で14勝1敗で優勝して大関2場所で横綱昇進
かと騒がれた。翌場所千秋楽を前に横綱朝青龍14勝、白鵬
12勝2敗と朝青龍の優勝が決まっていた。協会は白鵬が
朝青龍に勝っても横綱昇進はないことを決めていた。
白鵬は13勝をあげ、翌場所につなげた。しかし、翌場所は
8勝で振り出しに戻った。結局白鵬は大関7場所で横綱に
昇進した。大関時代、朝青龍戦は優勝決定戦を含め、3勝
3敗の五分だった。
次回は大関在位が長かった横綱の大関時代をみてみる。
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