大相撲

出羽海の系統16

2015年7月2日

出羽海から破門された九重は高砂一門に入った。高砂(元
前田山)は九重を迎え入れた理由の趣旨をこう語った。
昔、出羽海は高砂から分かれたんだ、と。筆者はこれを
聞いたとき、そうだったのかと納得していた。しかし、
これまで出羽海の系統で述べてきた通り、そんな事実は
ない。これは常陸山虎吉が稽古場がなくて高砂部屋の
稽古場を常時使用していたのが、そうとられたのでは
ないかと考えている。

独立した九重部屋が初めて迎えた本場所は1967(昭和42)
年の三月場所であった。当時の番付は横綱が大鵬、佐田
の山、柏戸、大関が北の富士、玉乃島、豊山である。
一月場所まで大鵬が第2次6連覇中で、しかも30連勝中
であった。大鵬の7連覇は堅いとみられていた。

この場所北の富士は目つきと気合が違った。初日から
突っ走って12連勝。一方6連覇中の大鵬は自己新記録の
35連勝を意識して体が動かず、通常ならまったく負ける
要素のない浅瀬川に序盤で敗れる波乱があった。敵は
浅瀬川ではなく大鵬自身である、と言われた。北の富士は
大鵬戦で1敗こそしたが、かつての兄弟子佐田の山を
倒し、千秋楽を迎えた。大鵬は14日目柏戸に敗れ2敗に
後退した。千秋楽北の富士は柏戸に勝ち初優勝を達成
した。後に燃える要素があるときは強いといわれる
北の富士はここから始まった。、
北の富士優勝
<北の富士初優勝を伝える大相撲誌 読売新聞社刊>
 
十両では松前山が優勝し、九重部屋はダブル優勝を
成し遂げた。涙をこらえられなかった九重と北の富士が
がっちり握手した光景は強烈な印象を与えた。相撲は
ドラマだ。土俵は人生の縮図。そんな劇的な展開が
新生九重部屋に訪れた。筆者にとって後にも先にも
これが最も感動的な場所となった。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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