大相撲

横綱の初優勝・優勝間隔記録

2015年7月4日

五月場所の照ノ富士は栄光に包まれていたが、その裏で
自己ワースト記録を更新している横綱がいた。日馬富士
と鶴竜である。日馬富士は2013年の十一月場所以来9場所
と1年半優勝がない。鶴竜は横綱に昇進して以来7場所
優勝がない。ただないだけなく、優勝争いの目安となる
12勝以上が日馬富士・鶴竜ともたった1回しかない。この
低迷はどこまで続くのか。続くとしたら横綱のワースト
記録ではどのランクになるのか。
150125千秋楽幕内 223
 <日馬富士>
 
横綱が実質地位化した常陸山以降の横綱の初優勝は何
場所目か。また、間隔があいた優勝は何場所か記録を
調べてみた。まず横綱で優勝なしは両方の記録がなし
になってしまう。そんな横綱がなんと9人もいる。また
横綱優勝1回は間隔があいた優勝から外れることになる。
そんな横綱が6人いる。

横綱の優勝に関して

年2場所時代は数字はそう大きくはならない。その中でも
太刀山はまんべんなく優勝したので数字は極端に少ない。
大正時代の名横綱栃木山は3連覇後引退した。昭和に
目を移すと第一人者の横綱玉錦・無敵双葉山も数字は
少ない。
150125千秋楽幕内 129
<鶴竜>
 
数字が2ケタになったのは横綱の初優勝では照国である。
照国が横綱で初優勝したのはなんと18場所目であった。
照国は常に双葉山、羽黒山などの陰に隠れ、ナンバー2で
あることが多かった。優勝と優勝の間隔が初めて2ケタに
なったのは羽黒山である。11場所優勝なしだが、そう
なった原因は稽古で右足のアキレス腱を切ってしまった
ためである。
横綱 照国 
<照国のブロマイド>
 
横綱初優勝が遅かったのは横綱返上問題をおこした千代の
山の13場所目、1回の優勝で横綱になった鏡里の11場所目、
横綱昇進が甘いと言われた朝潮の12場所目、攻めで自爆
してしまう柏戸の12場所目などが目立つ。7場所中の
鶴竜は2ケタにならないためにもここらで優勝しておき
たいところだ。
 
羽黒山の優勝と優勝の間隔11場所を超えたのが佐田の山の
14場所である。常に大鵬という壁に阻まれ、15場所目に
優勝できたのは大鵬が途中休場したときだった。大横綱
北の湖は23回目の優勝から最後の24回目の優勝まで13場所
優勝がなかった。佐田の山の記録を更新したのは曙である。
18場所優勝なしは現在ワースト記録である。貴乃花は1ケタ
勝利、途中休場、全休で苦しんだ時期に13場所優勝が
なかった。日馬富士は七月場所で優勝できなければ2ケタ
優勝なしの仲間入りとなる。
 曙2
<曙>

七月場所は照ノ富士だけでなく、鶴竜、日馬富士にも

おおいに注目する必要がある。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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