大相撲

不可解な番付2

2015年7月1日

前回不可解な番付1を書いたが、補足しましたので最後の
箇所をもう1度お読みいただければ幸いです。

さて大乃国から魁皇までの大関昇進時の番付の大関の
順位をみていこう。昇進ケースによって3つに分類して
ある。

A 9勝以下の先輩大関より上位に位置した場合。ただ、
大関全員が10勝以上あげている場合は前後の昇進ケース
から推定しA推定とした。

B 8勝以上の先輩大関より下位だが、7勝以下の大関
より上位の場合。

C 7勝以下の先輩大関より下位に位置した場合。ただし
先輩大関全員が8勝以上のときは前後の昇進ケースから
指定してC推定とした。
表4
貴ノ花は関脇で11勝4敗で大関を決めた。小錦は大関で
10勝5敗をあげたにもかかわらず、翌場所貴ノ花が小錦を
おさえて東大関に座ったのである。そのためAを超えた
のでAAとした。

千代大海、出島は1ケタ勝ち星の大関より下位に位置した
ため、Bとなった。Bのケースはときどき気まぐれ的に、
しかも連続して登場する。傾向としては大関の数が少ない
ときにみられる節がある。

ここでもAのケースが目立つ。増位山(父)から魁皇
まで57人(魁傑の2度の大関昇進を含む)をみてきたが
A(AA、A推定を含む)のケースは47人、Bのケースは
9人、Cのケースは1人である。つまりCのケースはまれ
だったのである。

ところが魁皇の次の大関栃東から様相が一変する。照ノ
富士までの13人がCもしくはC推定なのである。Cへの
変わり目は栃東以降なのである。新大関は機械的に大関
最下位にした。魁皇以前はわずか1例しかなかったのに
オールCケースになったのである。
表5
最悪は朝青龍の場合である。14勝1敗で優勝した千代
大海を別にすれば魁皇0勝4敗11休、栃東3勝2敗10休、
武双山全休と3人が散々な成績なのである。しかし、
朝青龍が新大関になったときは大関最下位なのである。
070211福祉 245
<朝青龍>
 
照ノ富士にしても豪栄道、琴奨菊というそもそも大関の
実力が疑わしい両者に劣るとは考えられない。なぜ、
こんな不合理な番付がまかり通るのだろうか。歴史的に
みても新大関のポジションは悪化に向かっていると言わ
ざるを得ない。
150527照ノ富士大関 131
<照ノ富士>

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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