6月29日、七月場所の番付が発表された。本来なら新番付
に関しては6月29日に触れるのだが、ある点が気になって
調べてみるため時間を要してしまったのである。気に
なった点とは新大関照ノ富士の位置である。照ノ富士は
大関4番手なのである。先場所12勝3敗で優勝した照ノ
富士がなにゆえ8勝の豪栄道、6勝と負け越しの琴奨菊の
風下に立たなくてはならないのか。どう考えても合理的な
理由が見出せない。
すえる傾向がでてきた。かつては北の富士、玉の海が
横綱に昇進したときは、全休の先輩横綱大鵬を超えて
東西正横綱にすわった。輪島が大関に昇進したときは
1ケタ勝利の先輩3大関をこえて東正大関となった。
これが普通だった。番付はランキングである以上合理的
であったといえる。
新大関の立ち位置は大関陣のどの順位か、調べてみた。
調査対象は東西制は特殊な事情がからむので、系統別
総当たり制が定着した1947(昭和22)年秋場所以降と
した。わかりやすくするために以下のAからCの分類を
表につけた。
表につけた。
A 9勝以下の先輩大関より上位に位置した場合。ただ、
大関全員が10勝以上あげている場合は前後の昇進ケース
から推定し、A推定とした。
B 8勝、9勝の先輩大関より下位だが、7勝以下の大関
より上位の場合。
C 7勝以下の先輩大関より下位に位置した場合。ただし
先輩大関全員が8勝以上のときは前後の昇進ケースから
指定してC推定とした。
◎は優勝である。
調査結果が以下である。なお、魁傑は1度大関から陥落
して再度大関に昇進した。
系統別総当たりの時代はAが多い。例外は吉葉山・鏡里が
同日で大関昇進したときである。吉葉山は8勝の千代ノ山
より下位だし、鏡里に至っては負け越しの汐ノ海より下で
大関最下位である。朝汐が13勝で優勝しても大関で10勝
した若ノ花を超えていない。Bは佐田の山から栃光まで
の一時期、3人が該当している。
部屋別総当たり制では北の富士から琴桜まではBの
ケースが続く。だが短期で終わっている。清国以降は
9勝、8勝の上位に位置するようになった。14勝で優勝
した千代の富士が大関昇進のとき、大関で10勝の増位山
より上位に位置した。また、14勝で優勝した北天佑が
11勝の琴風より上位にすえた、10勝以上の先輩大関さえ
超えた場合を特に「AA」と表記する。こうして見ると
いかにAのケースが長く続いていたかがわかる。
Cのケースは誰から始まったのか。次回はこの点を明らか
にする。
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