大相撲

不可解な番付1

2015年6月30日

6月29日、七月場所の番付が発表された。本来なら新番付
に関しては6月29日に触れるのだが、ある点が気になって
調べてみるため時間を要してしまったのである。気に
なった点とは新大関照ノ富士の位置である。照ノ富士は
大関4番手なのである。先場所12勝3敗で優勝した照ノ
富士がなにゆえ8勝の豪栄道、6勝と負け越しの琴奨菊の
風下に立たなくてはならないのか。どう考えても合理的な
理由が見出せない。
番付
<七月場所の番付>

最近は新横綱・大関の昇進はきわめて機械的に最下位に

すえる傾向がでてきた。かつては北の富士、玉の海が
横綱に昇進したときは、全休の先輩横綱大鵬を超えて
東西正横綱にすわった。輪島が大関に昇進したときは
1ケタ勝利の先輩3大関をこえて東正大関となった。
これが普通だった。番付はランキングである以上合理的
であったといえる。

新大関の立ち位置は大関陣のどの順位か、調べてみた。
調査対象は東西制は特殊な事情がからむので、系統別
総当たり制が定着した1947(昭和22)年秋場所以降と
した。わかりやすくするために以下のAからCの分類を
表につけた。
A 9勝以下の先輩大関より上位に位置した場合。ただ、
大関全員が10勝以上あげている場合は前後の昇進ケース
から推定し、A推定とした。

B 8勝、9勝の先輩大関より下位だが、7勝以下の大関
より上位の場合。

C 7勝以下の先輩大関より下位に位置した場合。ただし
先輩大関全員が8勝以上のときは前後の昇進ケースから
指定してC推定とした。
◎は優勝である。
調査結果が以下である。なお、魁傑は1度大関から陥落
して再度大関に昇進した。
表1
表2
表 3

系統別総当たりの時代はAが多い。例外は吉葉山・鏡里が
同日で大関昇進したときである。吉葉山は8勝の千代ノ山
より下位だし、鏡里に至っては負け越しの汐ノ海より下で
大関最下位である。朝汐が13勝で優勝しても大関で10勝
した若ノ花を超えていない。Bは佐田の山から栃光まで
の一時期、3人が該当している。

吉葉 
<吉葉山のブロマイド>

部屋別総当たり制では北の富士から琴桜まではBの
ケースが続く。だが短期で終わっている。清国以降は
9勝、8勝の上位に位置するようになった。14勝で優勝
した千代の富士が大関昇進のとき、大関で10勝の増位山
より上位に位置した。また、14勝で優勝した北天佑が
11勝の琴風より上位にすえた、10勝以上の先輩大関さえ
超えた場合を特に「AA」と表記する。こうして見ると
いかにAのケースが長く続いていたかがわかる。

Cのケースは誰から始まったのか。次回はこの点を明らか
にする。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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