大相撲

検証!4横綱の時代9

2016年8月22日

昭和から平成にかけて、旭富士が12勝-12勝
-14勝-13勝-13勝の成績をあげながら、横
綱に昇進できなかった。その旭富士がようやく
連続優勝を達成して横綱に昇進したことで
平成2年九月場所、4横綱が実現した。千代
の富士、北勝海、大乃国、旭富士による平成
初の4横綱時代である。
平成4横綱1A
4横綱時代は5場所続いた。横綱による優勝
は4回。大乃国に優勝はない。成績は157勝
45敗87休で勝率7割7分7厘である。1場所
11.7勝相当。皆勤はわずか1場所である。
休場率は、不戦敗2を含め、30.8%である。
全休が5回もある。これでは数字は悪くなる。
千代富士C
<千代の富士>
 
千代の富士の引退によって終了したが、この
4横綱の寿命自体が長くなかった。大乃国は
千代の富士が引退した翌場所に引退した。
旭富士・北勝海は休場が目立ち始めていた。
旭富士は千代の富士引退から4場所後に引退、
北勝海は千代の富士引退の1年後に引退した。
この後4場所横綱不在が続くことになった。

次の平成の4横綱時代は、曙、貴乃花、3代
目若乃花、武蔵丸によって平成11年七月場所
に実現した。こちらも5場所続いた。3代目
若乃花の横綱はないと思っていたが、2場所
連続優勝によって横綱に昇進した。ただし、
横綱になっての優勝はない。武蔵丸は大関
在位32場所の末、連続優勝して横綱になった。
そのとき、年齢はまだ28歳だった。
平成4横綱2A
優勝は武蔵丸のみの2回という寂しさである。
貴乃花は20回目の優勝から次の優勝まで2年
以上かかっていた時期であった。成績は139勝
58敗94休。勝率7割6厘である。1場所10.6
勝相当である。皆勤は0である。休場率は不戦
敗4を加えると33.7%になる。1年間に2場所強
休んだことになる。この4横綱は悲惨な足跡を
残す結果となった。
平成4横綱
<左から貴乃花、若乃花、曙、武蔵丸>
 
3代目若乃花が引退することで4横綱は解消
となった。これ以降4横綱は出ていない。稀
勢の里が横綱に昇進して、再び4横綱時代が
出現するか。その成績はどうなるか。今後を
見守っていく。

台風接近中。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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