大相撲

名門出羽海部屋の推移2

2017年8月19日

常陸山-両国(前名国岩)-常ノ花と引き
継がれてきた出羽海部屋。それは昭和32年
思いも寄らないよらない事態をむかえ、これ
からの運命を大きく左右していく。それは
常ノ花の出羽海理事長がガスを充満させ、
鎧通しで腹・胸・首を切って自殺をはかった
のである。そのときは遺書があり、部屋は
将来千代の山に譲るという内容だといわれて
いる。
常の花)絵葉書
<常ノ花の絵葉書>

だが、このときは一命を取り留めた。出羽海
は相談役となり、3年後の昭和35年十一月
場所の翌日二日市温泉の旅館で胃潰瘍のため
急死した。急死のため遺書はなかった。部屋
は部屋付きの年寄の総意で元出羽ノ花が継い
だ。元千代の山の九重はこのあとは自分だと
いう思いがあった。この時点で出羽海部屋の
力士は、出羽錦・佐田の山・小城ノ花ら6力
士がいた。
武蔵川
<出羽海(元出羽ノ花)>

昭和38年4月に大関佐田の山が出羽海の市川
家に婿入りした。これで元千代の山の九重の
出羽海の目はなくなった。大関在位17場所と
長かった佐田の山が、横綱に昇進したのは
昭和40年三月場所であった。この当時佐田の
山を含め、出羽海部屋の力士は幕内に6人
いる。関脇北の富士もこの時点ではいた。

元千代の山の九重が出羽海部屋から独立した
のは、昭和42年一月場所後であった。自分が
見出した北の富士らを連れての破門独立で
あった。
千代山
<千代の山のブロマイド>

横綱佐田の山は連続優勝した後突如引退して
しまった。昭和43年三月場所のことである。
出羽海部屋の幕内力士は海乃山、福の花、
義ノ花の3人になっていた。

神社でも場所によっては蚊がいます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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