大相撲

佐渡ヶ嶽部屋の謎?

2016年2月4日

琴奨菊が先代師匠琴桜の如く、予期せぬ連続優勝で横綱
に昇進したら、佐渡ヶ嶽部屋では何人目の横綱になるか
ご存知だろうか。この部屋からは琴桜しか横綱はでてい
ないのでは、と思うかもしれない。横綱をつぶさに調べて
みると、ほかにもいたことが浮上してきた。それは誰か。
稲妻である。いつごろの横綱かというと江戸文政に活躍
した横綱であるのだからとてつもなく古い。今から190年
近く前になる。

身長188センチ、体重145キロ。幕内通算成績は130勝13敗
14分3預1無勝負。勝率8割6分3厘(分・預・無勝負は半星
として計算)、最高成績10回。ただし、当時は同じ片屋は対
戦しない制度だった。文政年間に阿武松と熱戦を展開して
相撲人気に貢献した強豪だった。
稲妻雷五郎
<稲妻の錦絵>
 
といっても稲妻が所属した佐渡ヶ嶽部屋は現在の佐渡ヶ
嶽部屋とは関係ない。現在の部屋は元小結初代琴錦が7
人の弟子を引き連れ、元佐賀ノ花の二所ノ関部屋から独
立して起こした部屋である。昭和30年7月のことである。
それを琴桜、琴ノ若と引き継いできた部屋である。琴奨
菊が横綱に昇進したら、現在の佐渡ヶ嶽部屋からは2人
目の横綱になる。
110928琴奨菊大関 247
<佐渡ヶ嶽、琴奨菊、琴勇輝>
 
元小結初代琴錦以前、佐渡ヶ嶽は高砂系の年寄株だった。
双葉山の前の横綱に男女ノ川という横綱がいた。引退後
は様々な職を転々とし、下足番になった横綱として知られ
ている。この男女ノ川が元阿久津川の佐渡ヶ嶽部屋に所
属していたことがある。もっとも、横綱昇進時は高砂部屋
だったが。
男女ノ川
<男女ノ川のブロマイド>
 
佐渡ヶ嶽部屋は名目上けっこう横綱を出していることに
なる。それにしても、こうしたややこしさを生む原因は年
寄名を部屋名にしているからである。いうまでもなく、年
寄名は固有名詞ではない。宮城山は高田川部屋所属も
そうした類である。部屋名をどう扱うか。今のままでは
今後、いっそう混乱を深めるだけである。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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