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佐渡ヶ嶽部屋の謎?

琴奨菊が先代師匠琴桜の如く、予期せぬ連続優勝で横綱
に昇進したら、佐渡ヶ嶽部屋では何人目の横綱になるか
ご存知だろうか。この部屋からは琴桜しか横綱はでてい
ないのでは、と思うかもしれない。横綱をつぶさに調べて
みると、ほかにもいたことが浮上してきた。それは誰か。
稲妻である。いつごろの横綱かというと江戸文政に活躍
した横綱であるのだからとてつもなく古い。今から190年
近く前になる。
身長188センチ、体重145キロ。幕内通算成績は130勝13敗
14分3預1無勝負。勝率8割6分3厘(分・預・無勝負は半星
として計算)、最高成績10回。ただし、当時は同じ片屋は対
戦しない制度だった。文政年間に阿武松と熱戦を展開して
相撲人気に貢献した強豪だった。
稲妻雷五郎
<稲妻の錦絵>
 
といっても稲妻が所属した佐渡ヶ嶽部屋は現在の佐渡ヶ
嶽部屋とは関係ない。現在の部屋は元小結初代琴錦が7
人の弟子を引き連れ、元佐賀ノ花の二所ノ関部屋から独
立して起こした部屋である。昭和30年7月のことである。
それを琴桜、琴ノ若と引き継いできた部屋である。琴奨
菊が横綱に昇進したら、現在の佐渡ヶ嶽部屋からは2人
目の横綱になる。
110928琴奨菊大関 247
<佐渡ヶ嶽、琴奨菊、琴勇輝>
 
元小結初代琴錦以前、佐渡ヶ嶽は高砂系の年寄株だった。
双葉山の前の横綱に男女ノ川という横綱がいた。引退後
は様々な職を転々とし、下足番になった横綱として知られ
ている。この男女ノ川が元阿久津川の佐渡ヶ嶽部屋に所
属していたことがある。もっとも、横綱昇進時は高砂部屋
だったが。
男女ノ川
<男女ノ川のブロマイド>
 
佐渡ヶ嶽部屋は名目上けっこう横綱を出していることに
なる。それにしても、こうしたややこしさを生む原因は年
寄名を部屋名にしているからである。いうまでもなく、年
寄名は固有名詞ではない。宮城山は高田川部屋所属も
そうした類である。部屋名をどう扱うか。今のままでは
今後、いっそう混乱を深めるだけである。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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