大相撲

大関昇進、その成績 3

2014年8月6日

■部屋別総当たり 
  5場所前 4場所前 3場所前 2場所前   直前    合計
北の富士9勝6敗 10勝5敗 8勝7敗 10勝5敗 10勝5敗 47勝28敗
玉乃島  中位        9勝6敗 10勝5敗 9勝6敗 11勝4敗 39勝21敗
琴桜   8勝7敗 7勝8敗 10勝5敗  11勝4敗 11勝4敗 47勝28敗
清国   8勝7敗 7勝8敗 10勝5敗  9勝6敗 12勝3敗 46勝29敗
前乃山   8勝7敗 8勝7敗 9勝6敗 12勝3敗 13勝2敗 50勝25敗
大麒麟  8勝7敗 8勝7敗 9勝6敗 12勝3敗 12勝3敗 49勝26敗

玉乃島は5場所前は横綱柏戸としか当たっていないので
4場所の成績を記載した。

1966(昭和41)年七月場所、大関が豊山1人になった。
しかも豊山は下り坂で多くを期待できない状態だった。
そんな状況下で翌場所、北の富士が大関に昇進した。
さらに翌場所、玉乃島が大関になった。ともに無理筋で
つくられた大関という印象はぬぐえなかった。
麒麟児ー大麒麟、
<大麒麟のブロマイド>
 
前乃山が新大関で休場することになったとき、大麒麟は
「あの人幸運じゃないですか。これが大関昇進前なら
どうなりますか」と語った。大麒麟は過去何度も大関の
チャンスを逃しているだけに言えた言葉である。最後の
大関昇進チャンスをものにしたとき、大関への執念が
実った瞬間だった。

前乃山、大麒麟から少なくとも直前3場所31勝以下は
減少していった。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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