■系統別総当たり制 ◎は優勝
5場所前 4場所前 3場所前 2場所前 直前 合計
吉葉山 下位 10勝5敗 10勝5敗 13勝2敗 13勝2敗 46勝14敗
鏡里 12勝3敗 11勝4敗 9勝6敗 8勝7敗 11勝4敗 51勝24敗
栃錦 9勝6敗 9勝6敗 10勝5敗 10勝5敗◎14勝1敗 52勝23敗
三根山 11勝4敗 6勝9敗 10勝5敗 11勝4敗 12勝3敗 50勝25敗
大内山 10勝5敗 9勝4敗2休 9勝6敗11勝4敗13勝2敗 52勝23敗
松登 9勝6敗 8勝7敗 11勝4敗 8勝7敗 13勝2敗 49勝26敗
若ノ花11勝4敗 7勝7敗1分10勝4敗1分 8勝7敗10勝4敗1分 47.5勝27.5敗
朝汐 ◎12勝3敗 8勝7敗 8勝7敗 8勝7敗◎13勝2敗 49勝26敗
琴ヶ浜 12勝3敗 11勝4敗 10勝5敗 11勝4敗 13勝2敗 57勝18敗
注
15日制が定着した1949(昭和24)年夏場所以降が大関前
5場所が対象となる吉葉山からの大関を取り上げている。
吉葉山は5場所前は横綱・大関と当っていないので4場所
前までの成績を記載した。
大内山の合計は休場を負け扱いしている。
若ノ花は初代で、合計は引き分けを0.5勝0.5敗として
扱っている。
戦後の混乱期を経て場所数が増加しつつあった時期で
ある。吉葉山が大関になった1951(昭和26)年夏場所
から琴ヶ浜が大関になった1958(昭和33)年夏場所までの
7年間で9人の大関が誕生している。この時期は大関昇進
成績が甘い傾向があり、大関はやや乱造気味である。
現代なら大関昇進の話題にすらならないケースが目立つ。
当時は千秋楽の翌日が番付編成会議であった。新大関誕生
となれば、使者が部屋へ伝達に立つ。鏡里と若ノ花は
大関昇進などあるはずがないと思っていた。鏡里は5場所
51勝24敗、2、3場所前は1ケタ勝利である。若ノ花は
内容はいいが、星数が足りないといわれていた。鏡里は
番付編成会議の日友人を見送りに行っていたし、若ノ花は
温泉にでも行こうと考えていたほどである。協会の思惑と
両力士の意識の違いが生んだエピソードである。
三根山は昇進4場所前に負け越しがある。朝汐は5場所
前と直前に優勝しているが、成績にムラがある。それは
大内山、松登も同様である。
関脇優勝は大関昇進への登竜門的ムードがあり、栃錦の
大関昇進が決まった。90キロ前後の体重で師匠の元栃木山
でさえ大関になるとは思っていなかった。恐るべきは
栃錦の相撲にかける執念でけして最後まで勝負をあきらめ
なかった。
安定した成績で大関昇進を果たしたのは吉葉山と琴ヶ浜
である。よく昇進する成績だけを問題にしても、それは
必ずしも大関の実績と一致するわけではないという意見を
いう方がいる。しかし、だからといってそれは昇進基準を
甘くしていい理由にならない。大関昇進成績は厳しく、
大関昇進後は大関にふさわしくなければ即陥落にすること
である。甘やかしはいい結果を生まない。