大相撲

大関昇進、その成績 1

2014年8月5日

■系統別総当たり制 ◎は優勝
            5場所前  4場所前  3場所前  2場所前    直前       合計
吉葉山 下位        10勝5敗 10勝5敗 13勝2敗 13勝2敗 46勝14敗
鏡里   12勝3敗  11勝4敗 9勝6敗  8勝7敗   11勝4敗 51勝24敗
栃錦    9勝6敗   9勝6敗 10勝5敗 10勝5敗◎14勝1敗 52勝23敗
三根山 11勝4敗  6勝9敗 10勝5敗 11勝4敗   12勝3敗 50勝25敗
大内山 10勝5敗 9勝4敗2休 9勝6敗11勝4敗13勝2敗 52勝23敗
松登    9勝6敗   8勝7敗 11勝4敗  8勝7敗    13勝2敗 49勝26敗
若ノ花11勝4敗 7勝7敗1分10勝4敗1分 8勝7敗10勝4敗1分 47.5勝27.5敗
朝汐  ◎12勝3敗  8勝7敗  8勝7敗   8勝7敗◎13勝2敗 49勝26敗
琴ヶ浜   12勝3敗 11勝4敗 10勝5敗 11勝4敗 13勝2敗 57勝18敗
注 
15日制が定着した1949(昭和24)年夏場所以降が大関前
5場所が対象となる吉葉山からの大関を取り上げている。
吉葉山は5場所前は横綱・大関と当っていないので4場所
前までの成績を記載した。
大内山の合計は休場を負け扱いしている。
若ノ花は初代で、合計は引き分けを0.5勝0.5敗として
扱っている。

戦後の混乱期を経て場所数が増加しつつあった時期で
ある。吉葉山が大関になった1951(昭和26)年夏場所
から琴ヶ浜が大関になった1958(昭和33)年夏場所までの
7年間で9人の大関が誕生している。この時期は大関昇進
成績が甘い傾向があり、大関はやや乱造気味である。
現代なら大関昇進の話題にすらならないケースが目立つ。
鏡里
<鏡里のブロマイド>

当時は千秋楽の翌日が番付編成会議であった。新大関誕生
となれば、使者が部屋へ伝達に立つ。鏡里と若ノ花は
大関昇進などあるはずがないと思っていた。鏡里は5場所
51勝24敗、2、3場所前は1ケタ勝利である。若ノ花は
内容はいいが、星数が足りないといわれていた。鏡里は
番付編成会議の日友人を見送りに行っていたし、若ノ花は
温泉にでも行こうと考えていたほどである。協会の思惑と
両力士の意識の違いが生んだエピソードである。
若
<若ノ花のブロマイド>

三根山は昇進4場所前に負け越しがある。朝汐は5場所
前と直前に優勝しているが、成績にムラがある。それは
大内山、松登も同様である。

関脇優勝は大関昇進への登竜門的ムードがあり、栃錦の
大関昇進が決まった。90キロ前後の体重で師匠の元栃木山
でさえ大関になるとは思っていなかった。恐るべきは
栃錦の相撲にかける執念でけして最後まで勝負をあきらめ
なかった。

安定した成績で大関昇進を果たしたのは吉葉山と琴ヶ浜
である。よく昇進する成績だけを問題にしても、それは
必ずしも大関の実績と一致するわけではないという意見を
いう方がいる。しかし、だからといってそれは昇進基準を
甘くしていい理由にならない。大関昇進成績は厳しく、
大関昇進後は大関にふさわしくなければ即陥落にすること
である。甘やかしはいい結果を生まない。

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

 

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

【ブログランキング】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック


【日本ブログ村】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村
  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

-大相撲

Copyright© 土俵の目撃者(毎日更新) , 2020 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.