大相撲

歴史的誤審の証人が失われた日

2016年10月25日

元羽黒岩の戸田智次郎氏が10月23日、腎不全
のため亡くなられた。まだ70歳であった。それに
しても元関取は、平均寿命80歳まで生きられ
ない方が多いのを寂しく思う。人生80古来まれ
なり相撲界、というところか。元羽黒岩の戸田
といえば、思いおこすのが大鵬の連勝記録で
ある。

昭和44年三月場所2日目、45連勝の大鵬に
相対したのは新鋭の戸田であった。思い
切って当たって押す。大鵬後退しながらまわり
込む。なおも押さんとした戸田の足が土俵外
の砂をけった、それから大鵬が正面に落ちた。
行司は大鵬に軍配をあげた。戸田はいい
相撲を取ったが、惜しかったなというのが
記者の感想であった。
誤審
<大鵬対戸田戦を伝える大相撲(読売
新聞社刊)より>
 
ところが、4人の審判(元栃光の千賀ノ浦、
元鶴ヶ嶺の君ヶ浜、元羽島山の松ヶ根、元
羽黒花の玉垣)は戸田の勝ちを主張した。
審判長の元栃錦の春日野がそれに従って
5対0で戸田の勝ちとなった。今の大相撲
ファンは信じられないかもしれないが、ビデオ
導入以前では一門の利益代表的存在が審判
だった。微妙な勝負で、自分の一門の力士に
軍配が上がらないと物言いをつける傾向が
あった。5人の審判の世紀の誤審によって
大鵬の連勝記録がストップするという歴史的
汚点の日になった。

もちろん、戸田に責任はない。戸田も「負け
たと思った」と語っている。すべては誤審を
犯した審判にある。正しい軍配をあげた行司
が進退伺いを出すという大矛盾に相撲ファン
はついていけなかった。大阪府立体育館は
ガラガラの客の入りとなっていった。

ここに名前のあがった方はすべて故人となっ
てしまった。歴史の証人がまたいなくなって
しまった。昭和は遠くなりにけり。

ゴミを出さないため、電池を充電タイプに
した。

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よしなに
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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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