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歴史的誤審の証人が失われた日

元羽黒岩の戸田智次郎氏が10月23日、腎不全
のため亡くなられた。まだ70歳であった。それに
しても元関取は、平均寿命80歳まで生きられ
ない方が多いのを寂しく思う。人生80古来まれ
なり相撲界、というところか。元羽黒岩の戸田
といえば、思いおこすのが大鵬の連勝記録で
ある。
昭和44年三月場所2日目、45連勝の大鵬に
相対したのは新鋭の戸田であった。思い
切って当たって押す。大鵬後退しながらまわり
込む。なおも押さんとした戸田の足が土俵外
の砂をけった、それから大鵬が正面に落ちた。
行司は大鵬に軍配をあげた。戸田はいい
相撲を取ったが、惜しかったなというのが
記者の感想であった。
誤審
<大鵬対戸田戦を伝える大相撲(読売
新聞社刊)より>
 
ところが、4人の審判(元栃光の千賀ノ浦、
元鶴ヶ嶺の君ヶ浜、元羽島山の松ヶ根、元
羽黒花の玉垣)は戸田の勝ちを主張した。
審判長の元栃錦の春日野がそれに従って
5対0で戸田の勝ちとなった。今の大相撲
ファンは信じられないかもしれないが、ビデオ
導入以前では一門の利益代表的存在が審判
だった。微妙な勝負で、自分の一門の力士に
軍配が上がらないと物言いをつける傾向が
あった。5人の審判の世紀の誤審によって
大鵬の連勝記録がストップするという歴史的
汚点の日になった。
もちろん、戸田に責任はない。戸田も「負け
たと思った」と語っている。すべては誤審を
犯した審判にある。正しい軍配をあげた行司
が進退伺いを出すという大矛盾に相撲ファン
はついていけなかった。大阪府立体育館は
ガラガラの客の入りとなっていった。
ここに名前のあがった方はすべて故人となっ
てしまった。歴史の証人がまたいなくなって
しまった。昭和は遠くなりにけり。

ゴミを出さないため、電池を充電タイプに
した。

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よしなに
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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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