大相撲

世紀の大誤審、まだ記していないこと

2016年10月26日

これまで大鵬の連勝記録が誤審でストップ
した世紀の大誤審に関していくつか記して
きた。それが以下である。(クリックすれば
ご覧いただけます。)

前日は初めて世紀の大誤審をした審判名を
明らかにした。余談だが、書物で年寄名だけ
書いているものがけっこうある。しかし、年寄
名は固有名詞ではない。後の大相撲ファンに
とっては誰かわからなくなる。きちんと現役名
も伝えてこそ、誰にでもわかるのである。
昭和44年三月場所2日目の世紀の大誤審、
まだ伝えてないことを改めてここで書いていき
たい。

まず、第一に大鵬は双葉山の記録を破ると
見られていたのかという点である。専門誌の
アンケートでは、破ることができるは20%だっ
た。さほど多くないのは理由がある。大鵬は
肘、膝の靭帯断裂などで5場所連続休場後に
連勝が始まったことと年齢が28歳で全盛期は
過ぎていたことがあげられる。大鵬が第二次
6連覇を達成したのは25歳から26歳にかけて
であった。
大鵬
<王者大鵬>
 
第二は審判の質である。前日一般論として
ビデオ導入以前は、審判は利益代表者と
書いた。世紀の大誤審の審判は、審判長の
元栃錦の春日野と4人の審判(元栃光の千賀
ノ浦、元鶴ヶ嶺の君ヶ浜、元羽島山の松ヶ根、
元羽黒花の玉垣)である。だが、審判長の
元栃錦の春日野と元栃光の千賀ノ浦は利益
代表的な面では薄い方々だった。問題は5人が
審判の経験の浅かったことにあった。この誤審
に関して「ほかの4人が戸田の勝ちというから、
そうせざるを得なかった」という元栃錦の春日野
審判長の発言はあるが、他の4人のコメントは
なかった。

第三は世紀の大誤審に対する協会の態度で
ある。当時理事長は元出羽ノ花の武蔵川
だった。「ビデオ、あんなもの参考にならない。
土俵は丸いし、角度も高さもある。カメラでは
とうてい正確にとらえられない」と発言した。
これに対し記者は「そういう見方が相撲は
いいかげんなものだという印象を相撲ファンに
与えるのではないか」と反論した。
武蔵
<元出羽ノ花の武蔵川>
 
さらに「誤審でお客さんが遠のくのでは」に
対し、元出羽ノ花の武蔵川理事長は「そうは
思わない。ファンの中には大鵬が負けたと
喜んでいる人もいるだろう。相撲は複雑な
ものだと思ってかえって興味をそそられる人
もいるんじゃないか」と言った。これに対し
東富士氏は「それは理事長という役職にある
者の発言ではない。完全に野次馬の言葉だ」
と批判した。

第四は大鵬の心理である。よく「あんな相撲
を取ったわしがいけないのだ」という言葉が
伝わり、立派な横綱だと賞賛されている。
しかし、これは支度部屋での発言である。
宿舎の久本寺に帰り、ニュースを見ると
誤審に対する怒りと失望がこみあげてきた。
大鵬は今まで節制していたが、それがくずれ
て急逝肺炎につながり休場した。

世紀の大誤審は大鵬にとって運が悪いとか、
気の毒なんてレベルの話ではない。あっては
ならないことだった。この歴史的汚点を相撲
ファンはけして忘れてはいけない。

今日だけは暖かい日になった。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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