大相撲

明解神風!

2016年10月24日

大相撲ファンのほとんどは、テレビで大相撲
を楽しんでいる。それだけに大相撲中継は
大事な役割を担っている。かつてNHKの
大相撲中継で一時代を築いたのが、神風正一
さんである。神風さんはどんな解説者であった
のか。一言でいうと神風さんは明解であった。
わかりやすい解説と滑らかな舌の回転で聞き
やすい声だった。大相撲を視聴者に広く知ら
しめた功績者であった。名調子で、打てば響く
というのが、神風さんの解説だった。

さしたら腕(かいな)を返す、もろ手突きは
いけない、右でも左でも四つで取る力士を
なまくら四つといって戒めた。相撲の技能に
関しては天下逸品だった。今もろ手突きは
けっこう見られるが、はずされると大きく
バランスを崩すことから、神風さんは、交互
に突くことを奨励した。もっとも「神風さんの
言う通りの相撲が取れれば、神がかり的な
力士が誕生しますよ」と言った力士がいた
ほどである。ユニークな表現もあった。横綱
玉の海が安定した相撲を取る一方、横綱
北の富士が調子の波があったとき、「これ
では北玉時代ではなく、玉玉時代である」と
語った。
神風
<神風さんの記事>
 
神風さんは、大正10年10月19日香川県大川郡
で5人兄姉の末っ子に生まれた。玉錦の門下に
入り、昭和12年1月初土俵を踏んだ。同期に
三根山、輝昇がいる。当時の二所ノ関部屋は、
横綱玉錦が午前4時に稽古場に降りた。今の
横綱は問題にもならない。最高位関脇。昭和
25年三月場所、番付編成に不満をもって引退
した。引退後片男波を襲名したが、昭和28年
1月相撲界を離れた。

相撲解説者になるきっかけは、現役時代に
あった。昭和24年一月場所が東京の浜町
仮設国技館で開催された。NHKの人気番組
「街頭録音」が場所中の打ち出し後に生中継
された。テーマは「大相撲に望むこと」で増位
山と神風が答えた。そのときの神風の聞き
やすい口調、頭の回転の速さ、論旨の一貫性
に感心した方々がいた。番組担当の藤倉アナ
と相撲担当の志村正順アナであった。この
とき、将来神風さんに解説をと決めていた。

解説は昭和28年夏場所から昭和62年三月場所
まで34年間務めた。もし、今の相撲ファンが神風
さんの解説を聞いたら、大相撲はいっそう楽しく、
面白く、興味深いものになっているにちがいない。
今となっては歯切れのいい口調が、懐かしく
思い出される。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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