大相撲

琴欧洲の全盛期は大関昇進前の小結・関脇時代

2013年12月15日

十一月場所で大関琴欧洲が途中休場し、2場所連続
負け越しで関脇陥落が決定した。新大関は2006年
一月場所だが、私はその年の年賀状で「時代を築くか
朝青龍の引き立て役で終わるか」と記した。答は
残念ながら後者になった。

琴欧洲の大関時代はさんざんな成績に終始しした。
大関在位47場所 380勝268敗63休 勝率5割8分6厘
一場所8.8勝 優勝争い2回、負け越し8回

琴欧洲は入幕から破竹の勢いで旋風を巻き起こした。
2場所目に敢闘賞受賞、3場所目に新三役、6場所目に
優勝同点と新たな力の出現を感じさせた。琴欧洲の
全盛期は大関時代ではなく、大関直前3場所の小結・
関脇時代であったと思う。

一月場所は10勝で大関に復帰できる。容易ではないが
ベストを尽くしてほしい。

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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