時津風一門は、双葉山が立浪部屋から独立して築いた系統である。立浪(元緑嶋)部屋にいた双葉山は、師匠の娘との縁談と部屋継承を断り、昭和16年に双葉山相撲道場として独立した。のちに伊勢ノ海・井筒と一門を形成する。本稿はその成り立ちと、現在16票を持つ時津風一門の顔ぶれをたどる。
※相撲の一門とはシリーズ第4回。時津風一門編。
時津風一門の部屋一覧|全5部屋と関取11人(令和8年七月場所)
時津風一門に属するのは5部屋、関取は11人である。師匠の欄は年寄名で、その右が現役時代の最高位としこ名にあたる。
| 部屋 | 師匠(年寄名) | 師匠の現役時代 | 所在地 | 関取(令和8年七月場所) |
|---|---|---|---|---|
| 時津風部屋 | 時津風 祐哉 | 前頭筆頭 土佐豊 | 東京都墨田区両国3-15-4 | 前頭六 正代 十両二枚目 時疾風 |
| 伊勢ノ海部屋 | 伊勢ノ海 準人 | 前頭三枚目 北勝鬨 | 東京都文京区千石1-22-2 | 前頭筆頭 藤ノ川 十両十四枚目 錦木 |
| 追手風部屋 | 追手風 直樹 | 前頭二枚目 大翔山 | 埼玉県草加市瀬崎5-32-22 | 前頭四 大栄翔 前頭九 翔猿 十両十枚目 日翔志 |
| 荒汐部屋 | 荒汐 栄吉 | 前頭二枚目 蒼国来 | 東京都中央区日本橋浜町2-47-2 | 関脇 若隆景 前頭八 若元春 前頭十六 大青山 |
| 音羽山部屋 | 音羽山 力三郎 | 横綱 鶴竜 | 東京都墨田区向島2-17-11 | 大関 霧島 |
五系統すべての一門と部屋は相撲部屋 一門 相関図|全45部屋の一覧、一門別のまとめは相撲の一門とは|一門別の部屋一覧にある。
時津風部屋は立浪(元緑嶋)部屋から双葉山が独立しておこした部
屋である。立浪部屋は明治の末、元小結緑嶋がおこした部屋である。
それでいて時津風部屋は立浪一門の一員ではなく、独自の時津風一
門を形成した。
双葉山が独立した立浪部屋のその後(現在の親方と歴代の系譜)は「立浪親方は現在誰?歴代の系譜」にまとめている。

そのいきさつはこうだ。師匠立浪(元緑嶋)は双葉山に「ほうびに
娘をやろう。部屋も継がせる」ともちかけた。だが、双葉山には心
に決めた女性がいた。

それだけではなかった。立浪(元緑嶋)と双葉山は様々な点で意見
が折り合わなかった。すき間風が吹き始めていた。その結果、双葉
山は昭和16年、双葉山相撲道場として独立した。
盟友元鏡岩の粂川が部屋も弟子も双葉山にさしだした。不動岩、鏡
里は粂川の直弟子である。独立しても立浪一門の枠内では弟弟子の
元羽黒山を盛り立てることになってしまう。そこで、双葉山相撲道
場及び引退後の時津風部屋は、他の部屋を併合し、勢力拡大に向か
った。

また、伊勢ノ海部屋、井筒部屋と一門を形成していった。時津風部
屋の分家は式秀(元大潮)部屋、湊(元豊山 前名長浜)部屋、荒
汐(元大豊)部屋ある。だが、現在時津風一門に残っているのは荒
汐(元蒼国来)部屋だけである。立浪(元安念山=2代目羽黒山)
部屋から独立した追手風(元大翔山)は考え方が違うと時津風一門
に移籍した。
現在時津風一門の票数は16票である。6人は再雇用である。現在理
事は伊勢ノ海(元北勝鬨)と勝ノ浦(元起利錦)である。
▶ 相撲の一門とは シリーズ:総論(五系統の仕組み)/①出羽海/②出羽海の分家/③高砂/④時津風(本稿)/⑤八甲山系・宮城野/⑥伊勢ヶ濱/⑦二所ノ関/⑧二所ノ関の分家 | 相撲部屋 一門 相関図|全45部屋の一覧/系統別インデックス