三賞は関脇以下の力士が対象となる。優勝できる力士は限定される
から多くの力士に好評であった。相撲ファンも誰が三賞を受賞する
か、新しい楽しみであった。関脇以下の優勝なら三賞を受賞して当
然である。
最近では三月場所優勝した尊富士は殊勲・敢闘・技能を獲得してい
る。五月場所優勝した大の里は殊勲・技能に輝いた。関脇以下の優
勝なら三賞を受賞して当然であるし、事実ほとんど受賞している。
ところが、長い相撲史には例外があった。それも1度ではない。2
度あった。現代なら考えられないし、あり得ない。
最初は昭和32年三月場所優勝の朝汐である。巨体、風貌から大いな
る可能性、とてつもない待望が寄せられた。この場所13勝2敗で2
回目の優勝だった。地位は関脇で小結・関脇得連続8場所在位中で
あった。場所後大関に昇進したが、三賞はなかった。
もう一人は大鵬である。昭和35年一月場所、新入幕の大鵬は初日か
ら11連勝。大鵬は将来横綱になる予感をいだかせた。翌三月場所は
初の上位で負け越したが、3場所連続二ケタ勝利をあげた。
昭和35年十一月場所、大鵬は関脇2場所目であった。大鵬は優勝争
いを勝ち抜き、13勝2敗で初優勝を飾った。栃錦はすでに引退し、
若乃花は休場であった。この時大鵬への三賞はなかった。大鵬への
期待大きく、ある意味初優勝は通過点であった。
これ以降関脇以下優勝で三賞なしは出ていない。