大相撲

北玉時代4

玉乃島は横綱になるにあたり、玉の海の四股
名を希望した。玉ノ海は玉錦の弟子であり、
NHK相撲界説者の四股名であった。また、
師匠である片男波が現役時代玉乃海を名のっ
ていた四股名でもある。当時の相撲ファンは
何でいまさら改名しなければならないんだ、
という思いだった。

<玉の海>

NHKの解説者だった玉の海梅吉氏は、玉乃
島で慣れ親しんできたのに今さら玉の海に
しなくても、と諭した。だが、横綱の意志は
堅かった。玉の海梅吉氏はそれならと了承
したが、1つ条件をつけた。それは「玉乃島
がどういう相撲をとってきたかは問わない。
しかし、玉の海を名のるのなら、今後八百長
をやってもらっては困る」というものだった。

昭和45年三月場所、新しい英雄誕生にポス
ターの図柄は2人の新横綱の立ち姿だった。
そこには旧勢力の大鵬の姿はなかった。はず
されていた。三月場所は例年通り、大阪で
開催された。3横綱は好調な展開であった。
玉の海は全勝、北の富士と大鵬は1敗のまま
横綱リーグ戦に突入した。久方ぶりの三つ巴
の優勝争いである。

<北の富士>

13日目、まず全勝の玉の海と大鵬が対戦した。
大鵬はもろざしから太いかいなを返して、
すくい投げで決めた。これで3横綱は1敗で
並んだ。14日目は北の富士と大鵬が激突した。
北の富士はもろざし、速攻で出た。勝負は
北の富士のものかと思った瞬間、北の富士の
出足と大鵬が首をまいて体をいれかえるタイ
ミングがあって、首投げが見事に決まって
しまった。

<大鵬>

千秋楽、1敗の大鵬は大関清國と対戦した。
この場所清國は初日に負けたあと、7連勝
した、ところが、その後6連敗して7勝7敗
であった。大鵬は清國をはたき込んで14勝。
結びの一番2敗北の富士対1敗玉の海戦は、
速攻北の富士が上手投げで勝ち、大鵬の31回
目の優勝が自動的に決定した。ポスターから
はずさた大鵬が発奮した結果という見方が
なされた。久々に強い大鵬が戻ってきた。
場所も3横綱が充実して見ごたえのある場所
になった。

(この項目続く)

羽生が五段時代のNHK杯の再放送は見ごたえ十分。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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