昭和戦後をみていこう。
■千代ノ山
戦後の大相撲の復興は千代ノ山にかかって
いた。その期待にそうように昭和20年秋場所、
19歳で新入幕を果した。新入幕の場所いき
なり10戦全勝した。強烈な存在感を示した。
突っ張りを得意としたが、特に右が強烈だっ
た。大関になったのが23歳、横綱になった
のが、25歳であった。32歳で引退した。
引退後は出羽海部屋の後継者を目指した。
だが、佐田の山が出羽海(元出羽ノ花)の
市川家に婿入りした。これで出羽海部屋後継
者の道がなくなると、当時分家禁止の不文律
があった出羽海部屋から独立することを決心
した。破門独立であった。千代の山の独立が
なければ、千代の富士、北勝海の両横綱を
抱えての九重(元北の富士)部屋の黄金時代
は、なかったかもしれない。
■安念山
のち羽黒山(2代目)に改名するが、どうも
安念山のほうがしっくりくる。昭和29年夏場
所20歳で新入幕。入幕13場所目には小結で
優勝を達成した。小結7場所、関脇14場所、
金星10個獲得するほどの強豪であった。ただ、
大鵬には歯がたたず、1勝14敗であった。
なかなか大関になれない安念山を解説の
玉の海梅吉氏は「これじゃあ安念山ではなく、
残念山ですなあ」と評した。引退は31歳で
あった。
■若羽黒
昭和30年春場所、20歳で新入幕。ねちねち
とした押し相撲で大関に昇進し、いきなり
優勝した。25歳のときである。しかし、相撲
への執着が薄く、稽古をさぼって稽古場を
よく脱走した。アロハシャツを着て場所入り
するなど行動も破天荒だった。柏鵬時代の
反逆児を自認していた。糖尿病、高血圧、
じん臓炎のため、大関の地位を明け渡した。
大関陥落後3年2場所務め、30歳で引退した。
■及川
昭和32年9月場所、20歳で新入幕を果した。
及川は本名である。入門は尾上(元十両野州
山義郎)部屋であったが、のちに本家高砂
部屋に預けられた。出足鋭く押したてる相撲、
あるいは左四つから寄る相撲であった。入幕
後は伸び悩み、最高位は前頭10枚目であった。
最後は幕下で引退(廃業)した。まだ25歳で
あった。
■若秩父
昭和33年九月場所、富樫(柏戸)、豊ノ海と
共にハイティーントリオとして注目された。
19歳の入幕である。その場所12勝3敗で敢闘
賞を受賞。入幕4場所目には19歳で小結に
昇進(場所中に20歳になった)し、玉錦か
照國の再来かと言われた。はでな塩まき、
童顔、あんこ型で人気があった。生涯最高の
取組は、昭和34年一月場所初日、横綱千代の
山戦であった。千代の山がはたいてつけいら
れて負けている。千代の山最後の場所であっ
た。小結4場所、関脇2場所務めた。最後は
十両で、29歳で引退した。
相撲は静寂のなかの音・声より熱気と声援・
拍手のほうがふさわしい。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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