大相撲

58年前の相撲部屋

2021年8月11日

今年に入って3つの部屋が閉鎖になった。
東関(元高見盛)部屋、峰崎(元三杉磯)、
鏡山(元多賀竜)部屋である。峰崎は定年に
よるものだが、東関は部屋を継いだものの、
無理があった。鏡山は2人の弟子が続いた
だけに限界であった。東関の弟子は八角(元
北勝海)部屋に、峰崎の弟子は芝田山(元
大乃国)部屋に、鏡山の弟子は伊勢ノ海(元
北勝鬨)部屋に移籍することになった。これ
で現代の部屋は以下の42になった。
一代の部屋 17
2代の部屋 11
3代の部屋 5
4代の部屋 5
5代以上の部屋4

<元高見盛の東関>

今から58年前の1963年の相撲部屋はどういう
事情だったのか。大鵬が第一次6連覇を達成
した年である。大鵬と柏戸の差がますます
開いていくことが明白になってきていた。
相撲部屋は32部屋である。現代よりは絞られ
ている。ほかに行司部屋があった。

<大鵬>

現代もある部屋はわずか11部屋しかない。
一代の部屋は時津風(元双葉山)、伊勢ノ海
(元先代柏戸)、井筒(元先代鶴ヶ嶺)、
友綱(元巴潟)、宮城野(元吉葉山)、佐渡
ヶ嶽(元初代琴錦)、片男波(2代目玉乃海)
である。井筒部屋はその後元2代目星甲に
引き継がれ、名称が陸奥部屋にかわり、元星
岩涛、元霧島へと引き継がれた。なお、元
霧島は直弟子ではなく、2代目鶴ヶ嶺の君ヶ
濱-井筒部屋の弟子である。

<元栃錦の春日野>

2代続いた部屋が立浪(元羽黒山)部屋、
春日野(元栃錦)部屋である。現代なら伝統
部屋になるが、このときはまだ歴史が浅かっ
た。4代続いた部屋が高砂(元前田山)で
ある。元前田山は先代高砂(元2代目朝潮)
の隠居によって部屋を継いでいた。出羽海
部屋を大きくしたのは常陸山であるが、部屋
の祖を幕末の桂川においている。1963年当時
は元出羽ノ花が継承6代目出羽海として君臨
していた。

<元出羽ノ花の出羽海>

21の部屋は現代に引き継がれなかった。大鵬
が所属していた二所ノ関部屋は、元金剛の代
で消滅した。三保ヶ関部屋は父増位山が復興
したが、子増位山の代で閉鎖した。ともに
本家であった。現代は本家なき分家だけが
残っている状態である。高砂の分家は4部屋
あったがすべて消滅している。高砂の分家は
長続きしない伝統がある。ほかに伊勢ヶ濱
(元照國)部屋、花籠(元大ノ海)部屋が
ともに次の代元清國、元輪島の代で消滅して
いる。

<金剛>

今から半世紀後の相撲部屋は果たしてどう
変化しているのだろうか。

年寄名を相撲部屋名にするとややこしさが増えます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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