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高砂の系統5

高砂の後継争いは2代朝潮と綾川(前名響矢)
の争いとなった。大正3年夏場所の番付では
2代朝潮は関脇で翌場所大関に昇進している。
綾川(前名響矢)は入幕2場所目であった。
なお、綾川は複数いて、江戸時代の綾川は
陣幕によって横綱免許を受けた力士にされて
しまった。また、昭和戦前にも綾川(前名
綾櫻)がいる。2代朝潮と綾川(前名響矢)
は共に現役で、二枚鑑札の形での3代高砂の
後継争いであった。結局3代高砂は2代朝潮
に決定した。

<2代朝潮のブロマイド>

高砂の後継争いに敗れた綾川(前名響矢)は
入間川(元両国=前名国岩)部屋に移籍した。
また、最初高砂の後継に立候補し、のちに
綾川(前名響矢)を支持した元浪ノ音の振分
は出羽海一門へ移籍した。出羽海は常陸山が
引退したばかりであった。

<綾川(前名響矢)のブロマイド>

大正5年、追手風(元綾渡り)の弟子、綾浪
源逸が湊川部屋をおこした。ここに木村一学
の若松部屋から大ノ里、八甲山が移籍した。
さらに大ノ里は出羽海(元常陸山)に、ハ甲
山は高島(元谷ノ音)部屋に再移籍したこと
は既に触れた。

八甲山はのちに高島部屋で多くの弟子を育て
た。現在の友綱(元旭天鵬)、宮城野(元
竹葉山)は元八甲山の高島部屋をルーツと
する部屋である。伊勢ヶ濱(元旭冨士)部屋
は元陸奥嵐の安治川部屋を引き継いだが、
安治川(元陸奥嵐)部屋も八甲山の高島部屋
をルーツとする部屋であった。八甲山が高島
部屋に再移籍しなければ、友綱・宮城野・
伊勢ヶ濱部屋は高砂をルーツとする部屋に
なっていたことになる。

3代高砂(元2代朝潮)のときに元太刀山の
東関から部屋の弟子を託されることがあった。
大正8年のことであった。太刀山といえば
強豪中の強豪横綱であった。それが廃業とは
どういうことか。大正8年5月29日、回向院
の協会仮事務所で選挙が実施された。投票は
全年寄、十両以上の力士・行司で行われた。

<太刀山のブロマイド>

取締は出羽海(元常陸山)と友綱(初代海山)
が再選された。問題は検査役(現審判)だっ
た。元太刀山の東関は出身部屋の友綱、木村
庄之助が票まとめに動いてくれた。東関は
元常陸山の出羽海にまで頼みこんだ。開票の
結果は以下であった。

井筒(元2代西ノ海) 146票
入間川(元両国=前名国岩)142票
雷 (元2代梅ヶ谷) 126票
二所ノ関(元2代海山)125票
中立(元伊勢ノ濱) 121票
関ノ戸(元逆鉾) 120票 
阿武松(元紫雲竜)111票
峰崎(行司木村銀治郎) 107票
伊勢ノ海(元小結柏戸) 107票
花籠(元荒岩)  99票

次点
東関(元太刀山)86票

元太刀山の東関は選挙に敗れたのである。
現役時代の栄光と名声は、相撲村では思い
がけず不人気だったのである。選挙の翌日
失意の元太刀山の東関は、離職を申し出た。
協会は留意したが、元太刀山の東関の意思は
固かった。こうして3代高砂は東関の申し出
により、弟子を引き受けることになった。
そのなかから大関太刀光、太刀ノ海、太刀若
らが育っていった。なお、現在は審判の選挙
はない。

<太刀光のブロマイド>

(この項目続く)

高砂の系統2、4の系統図に若干加えました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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