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横綱の対大関戦の成績9

佐田の山は大関時代が長かった。17場所かか
って横綱に昇進した。昇進したときは部屋別
総当たり制になっていた。佐田の山で特筆
すべきことは弟弟子であった北の富士が、
元千代の山の九重が出羽海部屋から独立する
にあたり、行動をともにしたことで対戦が
実現したことであった。元千代の山の九重が
出羽海部屋から独立したいきさつはこうだ。

1.元出羽ノ花の出羽海と元横綱千代の山の
九重は17歳の年の開きがあり、次の出羽海は
自分という思いが九重にはあった。
2.昭和38年4月に大関佐田の山が出羽海の
市川家に婿入りした。
3.九重の先行きがにわかにあやしくなった。
4.九重が独立した場合、頼りとする同郷の
北の富士、禊鳳、松前山の気持ちを確認した。
5.昭和42年一月場所後、九重は、分家独立
を許さずという出羽海の不文律のなか、秀の
山(元笠置山)を通じて独立を申し入れた。
6.出羽海の決断で、九重の申し入れがほぼ
受けいれたカタチになった。
7.だが、出羽海、春日野といった一門から
はずした。

<佐田の山>

昭和42年三月場所、横綱佐田の山対大関北の
富士の対戦は実現した。初顔では北の富士が
勝利した。このあと、佐田の山が盛り返し、
4勝2敗とした。最多対戦は大関豊山で10勝
5敗(1不戦敗含む)。次が大関玉乃島で
5勝3敗である。栃光には4勝と1度も負け
なかった。北葉山には3勝3敗(1不戦敗含
む)と五分、琴櫻には2敗と負け越した。
トータル26勝15敗であった。

佐田の山が横綱に昇進して、5年を経て次の
横綱北の富士が誕生した。横綱で7回優勝
している。強いときは全勝優勝するが、くず
れるとたちまち1ケタ勝利に陥ることがあっ
た。大鵬はあとから上がってくる力士の壁と
なったが、北の富士はやすやすと通した印象
が強い。

<北の富士>

最多対戦は大関清國で11勝5敗であった。
次が大関大麒麟で9勝6敗だった。大関琴櫻
には5勝5敗と五分だった。新しい力貴ノ花
に5勝1敗、輪島には2勝2敗であった。
大受とも対戦していて1勝している。横綱
北の富士の対大関戦はトータル42勝22敗と
60番を超えた。

北の富士と同日横綱に昇進した玉の海は、
横綱4場所目から抜群の安定感を発揮した。
腰で相撲を取り、右四つの型が完成されつつ
あった。大関時代に横綱かという成績はあげ
ていたが、見送られていた。それがここまで
りっぱな横綱になるとは思わなかった。

<玉の海>

横綱玉の海の対大関戦の成績は27勝4敗と
圧勝している。大関戦12連勝を記録している。
現役中の亡くなったことで、4人の大関と
しか対戦していない。大関清國に8勝2敗と
最多対戦している。大関前の山・大麒麟には
5勝1敗である。琴櫻には9勝と1度も負け
なかった。

(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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