大相撲

20歳以下の新入幕力士13

■若ノ鵬
入門したら、土俵入りから始まると思って
いたロシア連邦出身の力士。露鵬の口利きで
元2代目若乃花の間垣部屋に入門。序ノ口
から2年半で入幕した。2007年十一月場所、
19歳のときであった。しかし、力士生命は
短かった。2008年8月、大麻所持で解雇され
た。「この世界に慣れた。ほかの世界は難し
い」と言っていたが、ことの重大さから、
そうはいかなかった。最高位は前頭筆頭。
20歳で土俵を去った。

<若ノ鵬>

■栃ノ心
2008年五月場所、20歳で新入幕を果した。
入幕30場所で敢闘賞3回受賞、小結在位2回
と普通の幕内人生だった。ところが2013年
七月場所で右ひざ前十字靭帯断裂、右ひざ
内側内副靭帯断裂という大ケガを負った。
この場所は途中休場となった。翌場所から
十両で2場所連続全休。さらに幕下に落ちて
全休。番付は幕下55枚目まで下がった。ここ
からの栃ノ心の快進撃がすごかった。連続
幕下優勝、十両に戻って、さらに連続優勝で
幕内に復帰した。2014年十一月場所、27歳の
ときであった。

<栃ノ心>

復帰した場所で敢闘賞を受賞した。小結の座
にもついた。さらに初の技能賞を受賞する
機会がめぐってきた。それよりも驚いたのは
2018年一月場所、快進撃で堂々の初優勝を
成し遂げたときであった。30歳のときであっ
た。このチャンスを生かし、大関に昇進した。
同じく30歳であった。このあたりが栃ノ心に
とって最良の日であった。大関は2度落ち、
現在は平幕である。もう1度見せ場はくるの
だろうか。

■舛ノ山(のち舛乃山に改名)
フィリピン生まれの千葉県出身。2010年10月、
人より肺が小さいと忠告を受け、心房中隔
欠損の疑いありと診断された。スタミナが
一般人の半分以下しかなく、稽古に支障が
あった時期があった。のちに原因は心臓病
ではなく、呼吸法にあったことが判明した。
2011年九月場所、20歳で入幕した。1度十両
に落ちたが、2012年七月場所再入幕し、その
場所で敢闘賞を受賞した。しかし、再入幕は
2年しか続かなかった。最高位は前頭4枚目。
2度目の十両落ちとなった以降は、ケガで
序ノ口まで番付を下げた。幕下以下の相撲
人生が5年続いている。現在の番付は三段目
である。年齢は29歳になった。

<舛ノ山>

■千代鳳
兄千代丸とともに九重(元千代の富士)部屋
に入門。2013年五月場所、20歳で入幕した。
幕内は19場所務め、小結を1場所在位した。
この間2016年7月、師匠の九重が61歳という
若さで亡くなるという悲運にでくわしている。
跡を継いだのは元大関千代大海であった。
千代鳳は肩や膝のケガで次第に番付を下げて
いった。2018年、2019年は幕下生活であった。
長い無給生活を脱したのは2020年一月場所
からであった。番付は現在十両8枚目まで
戻してきた。年齢はまだ27歳である。幕内
復帰を目指しての奮闘が見られるか、注視
している。

<千代鳳>

■貴景勝
現大関である。相撲版巨人の星の如く、少年
期は父に鍛えられ、高校時代は相撲の名門
埼玉栄高校相撲部で活躍した。そんな下地が
あるだけに序ノ口から9場所で十両入りした。
十両は4場所かかり、2017年一月場所、20歳
で入幕した。貴景勝の大相撲人生のショッ
キングなできごとは、入門した貴乃花部屋の
師匠貴乃花が、2018年10月唐突に協会を離職
してしまったことである。突然師匠と部屋を
失い、残された弟子は元隆三杉の千賀ノ浦
部屋へ移籍した。

<貴景勝>

その直後に貴景勝が初優勝した。22歳のとき
である。そのチャンスを生かし、大関に昇進
したときも22歳であった。ただ、大関の成績
は、2020年三月場所まで30勝22敗23休とふる
わない。2場所で大関から落ちた大関は、
古くは五ッ嶋、近年では武双山以来であった。
きたる七月場所はカド番で迎える。見たい
のは優勝争いをする貴景勝である。

■阿武咲
2017年五月場所、20歳で入幕した。その場所
10勝5敗で敢闘賞を受賞した。そのあとも
2場所10勝5敗を続け、明日のホープとして
期待と注目を集めた。入幕3場所目の10勝
5敗は上位であり、金星(日馬富士)と2回
目の敢闘賞を受賞している。入幕4場所目で
小結にあがり、勝ち越している。

<阿武咲>

だが、勢いはここまでだった。2018年一月
場所、ケガで途中休場。翌場所は全休した。
1度十両に落ちたが、1場所で幕内に復帰
したが、そこから10場所横綱・大関戦が
なかった。つまり、上位に上がることがなか
ったのである。2020年の三月場所、横綱白鵬
を倒して殊勲賞を受賞した。だが、三月場所
は部分対戦だった。上位と総あたりする、
きたる七月場所こそ真価を問われる。

七月場所20歳で入幕を果した琴勝峰はどんな
履歴書、エピソードを残すのか。注目して
いきたい。

(この項目終わり)

無観客プロ野球も音を強調しているが、
生の熱気と声援に勝るものはない。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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