大相撲

阿武松の系統

2019年10月6日

最近元益荒雄が退職し、元大道が阿武松部屋
を継ぐことになった。元益荒雄は任期途中で
あり、突然な出来事であった。表向きは体調
面がよくないとのことだが、実際は精神的に
落ち込んでいるという話が伝わってきている。
部屋を継ぐといっても最終的に建物はどう
するのだろうか。近年弟子と名跡は継ぐが、
土地、建物は個人のものなので、最終的に
自分で用意するケースが多いだけに気になる。
190526千秋楽表彰 178
<先代阿武松>

阿武松部屋は本家ニ所ノ関部屋の分家の分家
である。そのニ所ノ関部屋の分家はお家騒動
と人間模様のなか誕生した。いきさつはこう
だ。大鵬を育てた元佐賀ノ花のニ所ノ関が
昭和50年3月に亡くなった。ニ所ノ関の後継
をめぐり、遺族側と後継候補の元大麒麟の
押尾川との間で話合いが行われたが、いっ
こうに進まなかった。両者の間で部屋、名跡、
後援会などで8000万の開きがあるといわれた。
そこで、暫定的に部屋の長老の元十勝岩が
継ぐことになった。

そのうち、遺族側は元大麒麟の押尾川に譲る
気がなくなってしまった。そんなとき、部屋
の金剛が昭和50年七月場所、思いがけず優勝
した。そのため、突然後継候補に浮上した。
金剛と次女を結婚させ、現役を引退したとき、
部屋を継がせることになった。
押尾川
<遺族との金額の開きを報じた記事>

そんな流れに、元大麒麟の押尾川は反発した。
自分についてくれる弟子を引き連れ、上野の
寺に立てこもる行動に出た。お家騒動の勃発
である。一門の花籠(元大ノ海)が仲裁に
はいり、結局青葉城ら一部の弟子をひきつれ
て、独立することになった。これが押尾川
部屋である。

このとき、押尾川部屋にいくことができなか
った天竜は、やがてプロレスへと転向して
いくことになる。また、金剛と次女は、結婚
式はあげたが、籍はいれず次女は別の男性と
結婚したという。やむをえず、金剛は北村家
(先代二所ノ関佐賀ノ花の苗字)の養子に
したという。そして最後に金剛は、本家ニ所
ノ関部屋を消滅させる役割を果たして親方
人生に幕をおろした。お家騒動は解決後も
様々な人間模様をみせてくれる結果となっ
た。
金剛優勝
<金剛優勝の記事>

元大麒麟の押尾川が育てた弟子が益荒雄で
ある。その益荒雄が引退後、独立しておこ
した部屋が阿武松部屋である。ニ所ノ関部屋
の分家の分家である阿武松部屋は、2人目の
師匠の時代となって弟子を育成していく。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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