大相撲

井筒部屋の消滅

2019年9月25日

190925元逆鉾 210
<井筒親方の訃報を伝える日刊スポーツ>
 
九月場所九日目、元逆鉾の井筒親方が亡く
なられた。58歳という若さであった。九月
場所前から体調が悪く入院していたという。
原因は千代の富士と同じすい臓がんとみら
れる。24日通夜、25日告別式がおこなわれた。
190925元逆鉾 061
<国技館に最後の別れ>

 

現役時代は幕内52場所、関脇12場所、小結
2場所務めた。殊勲賞5回、技能賞4回、
金星7個と活躍した。父はもろざし名人の
鶴ヶ嶺。鶴嶺山、逆鉾、寺尾の井筒3兄弟の
次男坊だった。
入幕して最終四股名の逆鉾という力士は4人
いる。初代は明治29年入幕。初代西ノ海が
高砂から独立して井筒部屋をおこしたとき、
一緒に移った。最高位は関脇だった。2代目
は大正5年春場所入幕。最高位は前頭筆頭で
あった。3代目は昭和38年五月場所入幕した。
最高位は前頭6枚目。井筒親方は4代目に
あたる。
190108奉納土俵入り 166
<在りし日の井筒親方>

 

親方としては横綱鶴竜を育てた。ただ、横綱
がいる部屋にも関らず、弟子が増えず、現在
は鶴竜、三段目鋼、序二段鶴大輝の3人にな
っていた。情報通によると鶴竜が引退した
場合、鋼・鶴大輝も引退するという。

井筒部屋は親方の死去によって消えてしまっ
た。逆鉾の井筒部屋は父鶴ヶ嶺から継いだ
モノである。父鶴ヶ嶺は井筒部屋の後継者
争いに敗れ、君ヶ浜部屋として独立スタート
した。本家井筒を継いだのは星甲であった。
だが、遺族とごたごたし、井筒の名称は使え
なくなり、陸奥に名称を変更した。その結果
九重部屋から独立した北の富士が、一時井筒
部屋を名のっていた。

井筒系統A

だが、北の富士の師匠元千代の山の九重が
急死し、元北の富士がかつての九重部屋を
併合する形で新生九重部屋とした。そのさい
井筒の株と君ヶ浜の株を交換して、現在に
至っている。だが、ここに井筒部屋は歴史
から消滅する運命となった。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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