大相撲

現代相撲部屋継承事情10

2020年10月11日

7代続いている部屋が高砂部屋である。創設
者は明治の風雲児高砂浦五郎である。大名の
お抱え力士という時代でなくなっていたなか
で、相撲会所(日本相撲協会の当時の呼称)
のトップ筆頭玉垣(前身は謎)とNo.2筆脇
伊勢ノ海五太夫(元柏戸宗五郎)の専横は
目に余った。それは力士への支給なしや番付
編成のいいかげんさに表われていた。高砂は
改革賛同派とともに収入の明確化、力士への
支給をなどの要求を相撲会所につきつけた。

これに対し、相撲会所は高砂ら改革派の番付
を黒塗りにして締め出す報復に出た。高砂は
大阪相撲や京都相撲と手を組んで高砂改正組
を組織した。しかし、東京に2つの組織が
あることをよしとしない方たちがいて、2つ
の組織は1つにまとまることになった。その
さいの取り決めは高砂の主張が取り入れられ
たカタチとなった。

<高砂浦五郎>

高砂は調停前に高砂部屋を創設した。高砂の
手腕で横綱免許の西ノ海・小錦、大関一ノ矢・
初代朝汐などを育てた。年寄としては取締に
ついたが、永久取締を宣言して、他の年寄の
反発を招き、専横ぶりは力士のクーデターに
発展した。風雲児高砂浦五郎は61歳で波乱の
生涯を終えた。

後を継いだのが元高見山宗五郎であった。
温厚で人望があり、多くの分家が誕生した。
自身は取締を努めた。63歳で亡くなると後継
争いがおきた。争ったのは2代朝潮と綾川
(前名響矢)であった。共に現役であったが、
2代朝潮が二枚鑑札で継いだ。朝潮は翌場所
大関に昇進している。

<2代朝潮のブロマイド>

3代高砂(元2代朝潮)は62歳のとき、隠居
した。高砂は前田山が二枚鑑札として4代目
となった。大関のときである。横綱で不成績
続きの前田山は休場中、日米野球観戦をする
というシールズ事件で現役をやめさせられて
いる。引退した元前田山の4代高砂は数多く
の弟子を育てた。横綱朝潮、大関前の山、
関脇前田川、小結富士錦・高見山(のち関脇)
をはじめ多くの幕内力士を輩出した。外国人
を本格的に入門させ、育てた開拓者でもあっ
た。

<前田山のブロマイド>

4代高砂が56歳の若さで亡くなると、あとを
継いだのが元横綱朝潮であった。5代高砂は
先代の弟子富士櫻を関脇に、さらに大関朝潮
(長岡)・小錦、関脇水戸泉らを育てた。
5代高砂(元横綱朝潮)が58歳で亡くなると、
あとを継いだのが元富士錦であった。6代
高砂(元富士錦)の定年が近づくと元朝潮
(長岡)の若松部屋と高砂部屋が併合する
カタチで一緒になった。

<元朝潮(長岡)の7代高砂>

元朝潮(長岡)の7代高砂は横綱朝青龍、
大関朝乃山、関脇朝赤龍らを育てた。7代
高砂は12月9日に定年を迎える。高砂部屋は
8代の時代を迎えようとしている。

3日続いた雨がようやくあがりました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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