今から46年前の昭和46年三月場所、相撲部屋
は26であった。なお、昭和46年三月場所は
北の富士、玉の海が同日横綱に昇進してから
1年たった場所である。そのなかで十両以上
の関取を擁する部屋は、以下である。
時津風(元豊山=内田)部屋 6人
春日野(元栃錦)部屋 6人、
高砂(元前田山)部屋 5人
二子山(元初代若乃花)部屋 5人
二所ノ関(元佐賀ノ花)部屋 4人
立浪(元2代目羽黒山=安念山)部屋 4人
朝日山(元二瀬山)部屋 4人
伊勢ヶ濱(元照国)部屋 4人
以上が上位勢力である。かつて番付の方屋を
占めていた出羽海(元佐田の山)部屋は3人
である。
<昭和46年三月場所番付発表の記事>
なお、二所ノ関(元佐賀ノ花)部屋、朝日山
(元二瀬山)部屋、伊勢ヶ濱(元照国)部屋
は現在の部屋とのつながりはない。相撲部屋
名を年寄名にすると、年寄名は固有名詞では
ないだけにややこしさを生むことになる。
二所ノ関(元佐賀ノ花)部屋は横綱大鵬、
大関大麒麟、平幕金剛、十両大文字と質は
一番いい。この番付では将来横綱になる輪島、
三重ノ海、大関になる貴ノ花、大受、増位山
の名が幕内に見える。十両では将来大関に
なる魁傑、旭国の名がある。
元豊山の時津風は当時33歳の若さであった。
それだけではない。すでに理事であった。
現代では考えられない。弟子には有望株の
長浜(後の豊山)を抱えていた。現役時代は
「豊山、なんとか優勝してくれ」と悲痛な
叫びがファンの間にあったが、ついに1度も
優勝できなかった。しかし、親方人生は一変
したといえる。
<時津風部屋>
二子山部屋は元初代若乃花が創立した部屋で
ある。創立9年未満だが、5人の関取をだし
た高度成長部屋である。実弟の貴ノ花は若手
のホープであった。元初代若乃花が一人で
奮闘しての結果だから、やはりこの人は違う。
後年は2人の横綱2代目若乃花、隆の里、
大関若嶋津を育てるのだから、弟子の育成に
大変な手腕を発揮したといえる。
<若乃花一代 土俵に生きて
東京新聞出版局刊>
相撲部屋は常に盛衰の歴史である。平成後、
どう移り変わっていくのか、注目したい。
政治のニュースが気になります。
興味深いテーマをこれからもお届けます。
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