大相撲

46年前の相撲部屋事情

2017年10月27日

今から46年前の昭和46年三月場所、相撲部屋
は26であった。なお、昭和46年三月場所は
北の富士、玉の海が同日横綱に昇進してから
1年たった場所である。そのなかで十両以上
の関取を擁する部屋は、以下である。

時津風(元豊山=内田)部屋 6人
春日野(元栃錦)部屋 6人、
高砂(元前田山)部屋 5人
二子山(元初代若乃花)部屋 5人
二所ノ関(元佐賀ノ花)部屋 4人
立浪(元2代目羽黒山=安念山)部屋 4人
朝日山(元二瀬山)部屋 4人
伊勢ヶ濱(元照国)部屋 4人

以上が上位勢力である。かつて番付の方屋を
占めていた出羽海(元佐田の山)部屋は3人
である。
S46年3月
<昭和46年三月場所番付発表の記事>

なお、二所ノ関(元佐賀ノ花)部屋、朝日山
(元二瀬山)部屋、伊勢ヶ濱(元照国)部屋
は現在の部屋とのつながりはない。相撲部屋
名を年寄名にすると、年寄名は固有名詞では
ないだけにややこしさを生むことになる。

二所ノ関(元佐賀ノ花)部屋は横綱大鵬、
大関大麒麟、平幕金剛、十両大文字と質は
一番いい。この番付では将来横綱になる輪島、
三重ノ海、大関になる貴ノ花、大受、増位山
の名が幕内に見える。十両では将来大関に
なる魁傑、旭国の名がある。

元豊山の時津風は当時33歳の若さであった。
それだけではない。すでに理事であった。
現代では考えられない。弟子には有望株の
長浜(後の豊山)を抱えていた。現役時代は
「豊山、なんとか優勝してくれ」と悲痛な
叫びがファンの間にあったが、ついに1度も
優勝できなかった。しかし、親方人生は一変
したといえる。
0710時津風部屋 001
<時津風部屋>

二子山部屋は元初代若乃花が創立した部屋で
ある。創立9年未満だが、5人の関取をだし
た高度成長部屋である。実弟の貴ノ花は若手
のホープであった。元初代若乃花が一人で
奮闘しての結果だから、やはりこの人は違う。
後年は2人の横綱2代目若乃花、隆の里、
大関若嶋津を育てるのだから、弟子の育成に
大変な手腕を発揮したといえる。
土俵に生きて—若乃花一代
<若乃花一代 土俵に生きて 
東京新聞出版局刊>

相撲部屋は常に盛衰の歴史である。平成後、
どう移り変わっていくのか、注目したい。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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