大相撲

系統別総あたり制をめぐるif

2020年7月3日

昭和40年一月場所に部屋別総あたり制が始ま
って、約55年が経った。今ではすっかり定着
して当たり前になってきたが、成立時はいろ
いろとあった。部屋別総あたり制は、二所ノ
関系の上位進出で取組編成に行き詰まりが
出てきたことから論じられるようになった。
抵抗はあった。時期尚早とか同じ釜の飯を
食べ、稽古してきた仲間と忍びないとか、
問題点をまず解決してから検討すべきとか、
反対論はあった。

<時津風(元双葉山)理事長>

だが、時津風(元双葉山)理事長は賛成の
世論をバックにして「いつまで延ばしたって
同じことだ。問題点があるなら、実施しなが
ら改正していけばいい」という英断によって、
部屋別総あたり制はスタートした。

それまでの系統別総あたり制は一門別総あた
り制とは違う。そこには部屋の系統(つなが
り)がなければならない。それも古過ぎない
系統である。具体的には本家、分家の関係が
認識されるようになったのは明治末からで
ある。なおかつ、部屋が一時的に他の部屋に
併合され、再び復興した場合の関係が考慮
された。またいささか時代めくが、破門の
部屋は系統からはずされた。

もし、昭和40年に部屋別総あたり制が実施
されなかったなら、今でも系統別総あたり制
になっていたことになる。そうなれば取組は
どのようになっていただろうか。

現代の部屋のルーツは以下である。
■高砂系6
高砂部屋
東関部屋
錦戸部屋
陸奥部屋(井筒系)
錣山部屋(井筒系)
↑上記2部屋の本家はかつて時津風に併合後
井筒部屋を再興した
高田川部屋(前師匠前の山が破門、現師匠が
二所系)

<一門の意向を無視して高田川として理事選挙に立候補し、破門になった前の山>

■出羽海系10
出羽海部屋
春日野部屋
藤島部屋
武蔵川部屋
境川部屋
玉ノ井部屋
入間川部屋
二子山部屋
九重部屋(元千代の山が破門)
八角部屋(上記の分家)
千賀ノ浦部屋(前師匠出羽系→現師匠二所系)

■三保ヶ関系3
増位山父が出羽海に身を寄せ、引退後三保ヶ
関部屋を再興。本家は閉鎖で今は分家のみ。
山響部屋
木瀬部屋
尾上部屋

■二所ノ関系11
本家は消滅し、今は分家のみ。
佐渡ヶ嶽部屋
片男波部屋
田子ノ浦部屋
二所ノ関部屋
尾車部屋
芝田山部屋
峰崎部屋
鳴戸部屋
西岩部屋
大嶽部屋
阿武松部屋

■立浪系7
立浪部屋
時津風部屋
荒汐部屋
追手風部屋
中川部屋
湊部屋
式秀部屋(前師匠元大潮時津風系→現師匠
出羽系)

■高島系4
友綱部屋
宮城野部屋
浅香山部屋
伊勢ヶ濱部屋(師匠は立浪系)

■伊勢ノ海系2
伊勢ノ海部屋
鏡山部屋

■ほか1
朝日山部屋
(大阪相撲系だが、前師匠大受高島系→現
師匠二所系)

これを系統別に再編成すると以下になる。
■高砂系3
高砂(元5代朝潮)部屋
東関(元高見盛)部屋
錦戸(元水戸泉)部屋

■井筒系2
時津風との対戦はなし
陸奥(元霧島)部屋
錣山(元寺尾)部屋

<寺尾は引退後井筒系の錣山部屋を創設>

■出羽海・三保ヶ関系12
出羽海(元小城ノ花)部屋
春日野(元栃乃和歌)部屋
藤島(元武双山)部屋
武蔵川(元武蔵丸)部屋
境川(元両国=前名小林山)部屋
玉ノ井(元栃東=子)部屋
入間川(元栃司)部屋
二子山(元雅山)部屋
山響( 元巌雄)部屋
木瀬( 元肥後ノ海)部屋
尾上( 元濱ノ嶋)部屋
式秀(元北桜)部屋

■九重系2
九重(元千代大海)部屋
八角(元北勝海)部屋

<分家禁止の不分律の出羽海から破門独立した九重(元千代の山)。直後の場所で弟子の北の富士が初優勝。それを報じる大相撲(読売新聞社刊)より>

■二所ノ関系14
佐渡ヶ嶽(元琴ノ若)部屋
片男波(元玉春日)部屋
田子ノ浦(元隆の鶴)部屋
二所ノ関(元若嶋津)部屋
尾車(元琴風)部屋
芝田山(元大乃国)部屋
峰崎(元三杉磯)部屋
鳴戸(元琴欧洲)部屋
西岩(元若の里)部屋
大嶽(元大竜)部屋
阿武松(元大道)部屋
千賀ノ浦(元隆三杉)部屋
高田川(元安芸乃島)部屋
朝日山(元2代目琴錦)部屋

■立浪系7
立浪(元旭豊)部屋
中川(元旭里)部屋
伊勢ヶ濱(元旭富士)部屋
追手風(元大翔山)部屋

時津風は井筒系との対戦なし
時津風(元時津海)部屋
荒汐(元蒼国来)部屋
湊( 元湊富士)部屋

■高島系3
友綱(元旭天鵬)部屋
宮城野(元竹葉山)部屋
浅香山(元魁皇)部屋

■伊勢ノ海系2
伊勢ノ海(元北勝鬨)部屋
鏡山(元多賀竜)部屋

現代の部屋はまことに目まぐるしい。部屋の
後継者は直弟子でも一門の親方でもなく、
他系統の親方になるのが、あたり前の時代に
なっている。一門は主に選挙のときの縛り
だが、系統は部屋のルーツである。今も
系統別総あたり制が続いていたら8つの系統
に分かれての取組編成となっていた。それに
しても出羽海・三保ヶ関系と二所ノ関系は
とてつもなく、巨大な系統になっていること
になる。

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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