26歳で横綱に昇進した千代の富士の力士生命
は予想以上に長かった。36歳直前まで相撲を
取った。横綱在位59場所、皆勤46場所はとも
に大鵬をわずかながら超えた。横綱千代の
富士の対大関戦は158番に及び、大鵬の142番
を超えて、この時点でトップに立った。成績
は116勝42敗(優勝決定戦1勝、1不戦勝
3不戦敗含む)であった。横綱の対大関戦の
勝利数は大鵬の120勝に及ばなかった。
大関戦の連勝数は16で、横綱大鵬の19は超え
られなかったが、立派な数字である。大関戦
の連勝は、昭和63年一月場所千秋楽に大関
旭冨士に負けたあとの五月場所から(三月
場所は全休)始まった。ちょうど千代の富士
の53連勝と時期を同じにしている。平成元年
一月場所、大関北天佑に負けるまで続いた。
その詳細が以下である。
●旭冨士
○小錦
○旭冨士
○朝潮
○北天佑
○小錦
○旭冨士
○朝潮
○小錦
○北天佑
○旭冨士
○小錦
○朝潮
○北天佑
○旭冨士
○朝潮
□小錦
●北天佑
ほかにも大関戦11連勝の記録がある。
大関とは10人対戦している。圧勝している
大関は4人いる。まず大関琴風に17勝1敗で
あり、10連勝している。次が大関若嶋津に
18勝2敗だった。こちらも10連勝している。
ほかに大関北天佑に27勝7敗(2不戦敗を
含む)である。実は北天佑には不戦敗1を
含め5連敗したことがある。しかし、その後
9連勝するなどして盛り返した。また大関
朝潮に19勝8敗と強さを発揮した。
苦戦したのが大関隆の里で3勝5敗と負け
越している。大関北尾に2勝(優勝決定戦
1勝を含む)2敗であった。対戦回数は少な
いが、大関霧島に1勝1敗だった。ほかに
大関大乃国に7勝4敗と迫られた。
全体的には大関に強かった横綱といえる。
横綱隆の里が強かったのは横綱5場所であと
の10場所は10勝以下が続いた。横綱優勝は
2回だった。対大関戦は14勝8敗であった。
同じ部屋の大関若嶋津との対戦がなく、対戦
した大関はわずか3人であった。大関琴風に
6勝1敗、大関北天佑に5勝3敗であった。
ただ、大関朝潮には3勝4敗と負け越して
いる。同じ夜行列車で上京した横綱2代目
若乃花の対大関戦17勝6敗に少し及ばなかっ
た。
横綱双羽黒は付人に逃げられ、親方(元安念
山=2代目羽黒山)と対立して、前代未聞の
現役横綱の廃業となった。そのため横綱在位
8場所、皆勤6場所で土俵を去っている。
優勝はない。対大関戦は18勝8敗の成績を
残している。大関北天佑に4勝1敗、大関
朝潮に5勝1敗であった。大関若嶋津、大関
小錦に3勝と負けなかった。ただ、がちんこ
大関大乃国には5連敗とついに勝てなかった。
(この項目続く)
東京の67人感染が気になります。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
イラストとマークの2カ所をクリックして支援してください。