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現代相撲部屋継承事情6

引き続き4代続いた部屋を見ていこう。

・立浪(元旭豊)部屋
緑嶋友之助は春日山(元朝日森)部屋に入門
し、春日山(元当たり矢)部屋のとき立浪
部屋として独立した。横綱双葉山、横綱羽黒
山、大関名寄岩の立浪三羽烏を育て一大勢力
を築いた。立浪(元緑嶋)は双葉山に「ほう
びに娘をやろう部屋も継がせる」ともちかけ
た。だが、双葉山には心に決めた女性がいた。
それだけではなかった。立浪(元緑嶋)と
双葉山は様々な点で意見が折り合わなかった。
その結果、双葉山は昭和16年、双葉山相撲
道場として独立した。立浪は結局、娘と結婚
した羽黒山に部屋を譲ることにした。

<安念山のブロマイド>

元緑嶋が亡くなると羽黒山は二枚鑑札で部屋
を継いだ。元羽黒山の立浪のとき、若羽黒、
安念山、北の洋、時津山が立浪四天王として
花開いた。追手風(初代清水川)の定年に
ともない弟子を引き取っている。羽黒山亡き
後は長女と結婚していた元2代目羽黒山=
安念山が引き継いだ。大関旭國、関脇黒姫山
を育てるも、横綱双羽黒と対立し、双羽黒が
相撲界を去る事態を招いている。

大島(元旭國)部屋出身の元旭豊を立浪の
長女の婿養子にして、元旭豊は元2代目羽黒
山=安念山の定年後後継者として歩むことに
なった。ところが、先代立浪と現立浪(元
旭豊)のトラブルはたえなかった。ことの
はじまりは旭豊の引退相撲の利益を先代と
妻に持ち去られるという金銭トラブルだった。
部屋の運営・指導でも意見があわなかった。
立浪の長女とはその後離婚。あらたに部屋の
明け渡しと立浪の譲渡金1億7500万円の支払
いを争う裁判が先代立浪と現立浪との間で
おこなわれた。この裁判は最高裁までいき、
元旭豊が勝訴している。

<立浪(元旭豊)>

部屋は現在つくばみらい市にかまえている。
かつては立浪・伊勢ヶ濱(照國-清國)連合
だったが、元旭豊の立浪で変わってしまった。
一時期貴乃花一門に属したが、現在は出羽海
一門に所属している。

・友綱(元旭天鵬)部屋
高嶋(元八甲山)部屋出身の弾丸巴潟は、
引退後玉垣部屋を創設した、名跡変更でその
後安治川部屋となった。師匠の高嶋(元八甲
山)が亡くなると高嶋部屋を継承した。横綱
吉葉山、大関三根山、関脇輝昇の高嶋三羽烏
を育てた。友綱(元矢筈山)の養女2人の
うちの姉を嫁にしていた関係もあって、友綱
(元矢筈山)の停年退職をうけて、さらに
友綱に名跡を変更した。なお、元矢筈山の
友綱部屋は定年前に閉鎖している。

<巴潟のブロマイド>

友綱(元巴潟)の停年退職をうけて、部屋を
継いだのは元一錦であった。友綱(元矢筈山)
の養女2人のうちの妹を嫁にしていた。魁輝
は先代の弟子だが、関脇まで育てた。魁皇は
晩年の弟子だった。定年で部屋を元魁輝に
譲った。大島(元旭國)親方が定年で部屋を
閉じるとき、弟子を引き取っている。その
中に旭天鵬がいた。友綱(元魁輝)の定年が
迫ったとき、大島(元旭天鵬)と名跡交換を
し、現在に至っている。

<友綱(元旭天鵬)>

(この項目続く)

地元に1件しかない本屋に行ってきました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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