大相撲

北玉時代1

北玉時代、北はNHK解説者の北の富士さん
である。玉は悲劇の横綱玉の海である。同日
に横綱になった2人は、ともに中型の横綱。
北の富士は左四つ速攻で取るタイプ、玉の海
は右四つの型、腰で取る相撲。大型で大味な
相撲の大鵬、柏戸とはタイプが違った。北玉
時代、その前段からふりかえっていこう。

<玉の海>
<北の富士>

昭和44年、前半は大鵬の連勝が誤審でストッ
プするという歴史的汚点を刻んだ時代だった。
五月場所大鵬が30回の優勝をなし遂げると、
協会はその偉業を讃えて一代年寄を贈った。
長い間大鵬と柏戸が横綱に君臨して8年弱に
なっていた。相撲ファンは新しい英雄を待ち
望んでいた。玉乃島は横綱の足がかりをつか
むも決定打に欠けていた。12勝-12勝-13勝
優勝で見送られた。翌場所は10勝で問題に
ならなかった。

<大鵬>

柏戸は新しい横綱が誕生せず、辞めるに辞め
られなかった。佐田の山に先に引退された
ことも影響していた。「なんで俺より先に」
という思いがあった。柏戸は思うような成績
があげられなくなっていた。それも限界が
あり、連続9勝6敗後の七月場所中に引退
した。柏戸が引退した七月場所、優勝争いは
もつれにもつれていた。千秋楽をむかえ、
3敗は大鵬、新大関清國、大関琴櫻、平幕の
藤ノ川であった。

<柏戸>

藤ノ川の対戦相手は関脇・小結までだった。
千秋楽藤ノ川は関脇前の山に勝って優勝決定
戦進出が決定した。3敗琴桜は藤ノ川という
いやなタイプが浮上した心理が作用したのか、
北の富士に敗退した。大鵬対清國は3敗同士
の対戦であった。しかし、この相撲、なんか
大鵬が投げやりの相撲のように映った。大鵬
に陰りが見えたのはこのときからであった。

<清國のブロマイド>

こうして優勝決定戦は清國対藤ノ川戦になっ
た。この一戦は終始清國が圧倒して新大関
優勝を達成した。4大関のなかでにわかに
清國が浮上してきた。これに対しのんびり屋
の北の富士が燃えた。「清國一人に甘い蜜を
吸わしてなるものか」燃える要素があるとき
の北の富士は強かった。

郵便局に行ってきました。
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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