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今の井筒部屋は本家井筒部屋の分家

井筒部屋といえば横綱鶴竜をかかえる部屋で
ある。師匠は元逆鉾で、父の鶴ヶ嶺から部屋
を引き継いで今日に至っている。横綱を擁
する部屋としてはいささか弟子の数が寂しい
状態である。井筒部屋というと名門のイメー
ジがあるが、今の井筒部屋は、実は本家井筒
部屋の分家なのである。どういうことか。
まず系統図をみていただきたい。いきさつは
こうである。
井筒系統A
井筒部屋の創設者は明治の横綱初代西ノ海で
ある。西ノ海は最初京都相撲に加わっていた
が、高砂改正組の巡業に加わり、高砂部屋に
入門した。そうした流れから井筒部屋のルー
ツは高砂なのである。たが、明治の末期以前
は本家、分家による一門意識はまだなかった。
井筒部屋は2代目西ノ海、先代星甲へと引き
継がれていった。
昭和19年、先代星甲の井筒が亡くなられた。
先代鶴ヶ嶺(最高位前頭2枚目)は二枚監察
(親方と現役を兼ねるシステム=現在は禁止
されている)を申し出たが、認められず、
井筒部屋の力士は双葉山相撲道場に身をよせ
ることになった。昭和22年、先代鶴ヶ嶺が
引退後、あらためて井筒部屋を復興した。
このあたりが、井筒部屋が時津風一門にはい
るきっかけになっている。
星甲

<前頭4枚目星甲のブロマイド>

昭和47年3月、先代鶴ヶ嶺の井筒が亡くなる
と、後継者争いがおきた。候補は陸奥(元
前頭4枚目星甲)と君ヶ浜(元関脇鶴ヶ嶺)
である。後継者争いに敗れた君ヶ浜(元関脇
鶴ヶ嶺)は独立して君ヶ浜部屋をおこした。
一方陸奥(元前頭4枚目星甲)は井筒となっ
てめでたしめでたしとはいかなかった。遺族
とのごたごたから、井筒の名称を使わず、
陸奥部屋としてスタートすることになった。
井筒の名称は2年間で終焉を迎えた。そして
井筒の株は北の富士の手に渡った。
井筒A
<君ヶ浜独立の記事>

北の富士は昭和49年に引退し、九重(元千代
の山)部屋から独立した。元千代の山の九重
が独立に苦労しただけに、北の富士の独立
には綺麗で苦労のない独立をさせた。ところ
が昭和52年10月、九重が51歳の若さで他界
してしまったのである。元北の富士の井筒は
急遽九重を名のり、2つの部屋を合体させて
再スタートした。
鶴ヶ嶺
<関脇鶴ヶ嶺のブロマイド>

元北の富士が九重となったことを受け、君ヶ
浜(元関脇鶴ヶ嶺)は井筒の株取得に動いた。
こうして君ヶ浜部屋は井筒部屋に改称して
現在に至っている。つまり現在の井筒部屋は
本家井筒部屋より独立した君ヶ浜部屋が名称
を変えた部屋なのである。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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