大相撲

高砂の系統10

2020年7月10日

5代高砂(元横綱朝潮)の下では3つの分家
独立があった。

昭和49年三月場所で引退した前の山(最高位
大関)が、4月に内弟子8人を連れて高田川
部屋を創設した。小結前乃臻、剣晃、鬼雷砲
などを育て上げた。高田川部屋がニ所ノ関系
の元安芸乃島に引き継がれる事情はのちに
触れることにする。

<前の山>

昭和59年五月場所、高見山(最高位関脇)が
引退し、年寄東関を襲名した。部屋付きの
親方を経て昭和61年2月、分家独立して東関
部屋を創設した。横綱曙、小結高見盛、潮丸
などを育てた。平成21年6月16日、東関は
定年迎え、元潮丸の小野川が東関部屋を継承
した。

<元高見山>

平成30年一月場所後、東関部屋は新たに葛飾
区に移転した。ところが翌年の令和元年12月
13日東関(元潮丸)が血管肉腫のため、亡く
なってしまった。まだ41歳であった。部屋を
どうするかが決まらぬうちに一月場所が迫っ
ていたため、力士は八角(元北勝海)部屋に
一時預かりとなった。場所後の1月30日、
元高見盛の振分が東関部屋を正式に継承する
ことになった。

<元潮丸の東関>

昭和60年三月場所限りで富士櫻が引退し、
年寄中村を襲名した。部屋付きの親方として
指導していたが、6代高砂から「そういう
ことは言わなくていい」と言われたのをきっ
かけに、翌年の昭和61年5月30日中村部屋を
創設した。十両力士を育てるも幕内力士は
およばなかった。定年前に部屋を閉鎖し、
弟子は東関(元潮丸)に託した。

<富士櫻>

昭和63年10月23日、5代高砂(元横綱朝潮)
が死去。58歳だった。あとを継いだのは元
小結富士錦の尾上であった。

<富士錦>

平成8年9月、元佐田の山の境川理事長は
年寄名跡の改革私案を理事会に提出した。
主な趣旨は人材流出の防止から親方株を一定
数協会帰属とし、売買を禁止するというモノ
だった。間垣委員長(元2代若乃花)、高田
川副委員長(元前の山)のもと年寄名跡改革
小委員会は、境川の改革案を圧倒的多数で
拒否した。それは他の親方も同様であった。
高額で購入した親方株が次に譲れなくなる
怖れがある死活問題となり、大反対の嵐と
なった。

<佐田の山>

平成9年5月、境川理事長は改革私案の全面
撤回を表明せざるを得なくなった。それだけ
ではすまなかった。平成10年の理事選挙は
大波乱の展開となった。前回の選挙では次の
一門が2名ずつ理事を選出していた。

高砂一門 
陣幕(元北の富士)高砂(元富士錦)
出羽海一門
境川(元佐田の山)北の湖
二所ノ関一門
佐渡ヶ嶽(元琴櫻)二子山(元貴ノ花)
時津風一門
時津風(元大関豊山)枝川(元北葉山)
立浪・伊勢ヶ濱連合
立浪(元安念山)木瀬(元清の盛)

伊勢ヶ濱は現在の伊勢ヶ濱(元旭富士)とは
つながりはない。清瀬川-照國-清國の流れ
であり、消滅した。また八甲山の流れをくむ
高島系も立浪・伊勢ヶ濱連合に加わっていた。

平成10年の理事選挙、立浪(元安念山)は
定年であり、大島(元旭國)が出馬すること
になった。二所ノ関一門はもう一人出せる
票数があるので間垣(元2代若乃花)を選出
した。そこへ一門の意向とは関係なく、年寄
改革反対の急先鋒として高田川(元前の山)
が立候補したのである。

(この項目続く)

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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