大相撲

現代相撲部屋継承事情8

2020年10月5日

九月場所優勝した正代は時津風部屋の所属で
ある。時津風部屋は双葉山がおこした部屋で
ある。双葉山は立浪(元緑嶋)部屋出身で
ある。師匠の娘をもらうことを断ったり、
様々な点で師匠と意見が折り合わなかったり
した。双葉山は現役のうちから双葉山相撲
道場として独立した。親友の元鏡岩の粂川が
部屋も弟子も双葉山にさしだした。不動岩、
鏡里は粂川の直弟子である。

<元双葉山の時津風>

双葉山相撲道場は立浪からの独立であるが、
立浪一門の枠内におさまることはしなかった。
立浪一門の枠内ではやがて弟弟子の羽黒山を
盛り立てることになる。そこで双葉山相撲
道場、引退後の時津風部屋は勢力拡大のため、
他の部屋を併合していった。袂を分かつこと
になったが、破門ではなかった。系統別総
あたりでは立浪の力士と時津風の力士の対戦
は、なかった。

元双葉山の時津風は横綱鏡里、大関大内山・
豊山(前名内田)・北葉山らを育てたが、
理事長のまま56歳の若さで急逝してしまった。
部屋の後継者を決めなければならなかった。
部屋を継いだのは元横綱であり、45歳になる
元鏡里だった。ところが双葉山の未亡人が、
主人の意向は元豊山にあるという発言をした。
元豊山は引退したばかりであった。そういう
ことならと元鏡里は時津風を降り、元豊山
は恐縮しながら時津風を襲名し、師匠となっ
た。

<豊山(前名内田)>

元豊山の時津風は関脇蔵間、小結豊山(前名
長浜)・大潮・双津竜、大豊などを育てた。
定年を迎えた時津風部屋を引き継いだのが
元双津竜であった。このときすでに元小結
豊山(前名長浜)は湊部屋を、元大潮は式秀
部屋をおこしていた。ところが、元双津竜の
時津風が約5年後とんでもない事件を引き
起こした。

<亡くなった時太山>

親方と3人の幕下が新弟子を暴行死させる
というショッキングな事件がおきた。名古屋
場所前のことであった。亡くなられた新弟子
は時太山。時太山は稽古や人間関係に悩み、
脱走することがよくあった。そんな新弟子に
業を煮やした時津風はぶつかり稽古を30分も
やらせた。親方自らがビール瓶で殴り、幕下
力士が金属バットで殴打するという、悲惨
極まりないものとなった。時太山はこうして
帰らぬ人となった。

<元時津海の時津風>

この事件で元双津竜の時津風は解雇された。
後継は現役だった時津海が指名された。即
引退して時津風部屋を引き継いだ。時津風の
後継は双葉山-鏡里-豊山(前名内田)-
双津竜-時津海とまさに波乱含みのなかで
引き継がれていった。

(この項目続く)

お汁粉が美味しい季節になりました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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