九月場所優勝した正代は時津風部屋の所属で
ある。時津風部屋は双葉山がおこした部屋で
ある。双葉山は立浪(元緑嶋)部屋出身で
ある。師匠の娘をもらうことを断ったり、
様々な点で師匠と意見が折り合わなかったり
した。双葉山は現役のうちから双葉山相撲
道場として独立した。親友の元鏡岩の粂川が
部屋も弟子も双葉山にさしだした。不動岩、
鏡里は粂川の直弟子である。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/10/時.jpg)
双葉山相撲道場は立浪からの独立であるが、
立浪一門の枠内におさまることはしなかった。
立浪一門の枠内ではやがて弟弟子の羽黒山を
盛り立てることになる。そこで双葉山相撲
道場、引退後の時津風部屋は勢力拡大のため、
他の部屋を併合していった。袂を分かつこと
になったが、破門ではなかった。系統別総
あたりでは立浪の力士と時津風の力士の対戦
は、なかった。
元双葉山の時津風は横綱鏡里、大関大内山・
豊山(前名内田)・北葉山らを育てたが、
理事長のまま56歳の若さで急逝してしまった。
部屋の後継者を決めなければならなかった。
部屋を継いだのは元横綱であり、45歳になる
元鏡里だった。ところが双葉山の未亡人が、
主人の意向は元豊山にあるという発言をした。
元豊山は引退したばかりであった。そういう
ことならと元鏡里は時津風を降り、元豊山
は恐縮しながら時津風を襲名し、師匠となっ
た。
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元豊山の時津風は関脇蔵間、小結豊山(前名
長浜)・大潮・双津竜、大豊などを育てた。
定年を迎えた時津風部屋を引き継いだのが
元双津竜であった。このときすでに元小結
豊山(前名長浜)は湊部屋を、元大潮は式秀
部屋をおこしていた。ところが、元双津竜の
時津風が約5年後とんでもない事件を引き
起こした。
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親方と3人の幕下が新弟子を暴行死させる
というショッキングな事件がおきた。名古屋
場所前のことであった。亡くなられた新弟子
は時太山。時太山は稽古や人間関係に悩み、
脱走することがよくあった。そんな新弟子に
業を煮やした時津風はぶつかり稽古を30分も
やらせた。親方自らがビール瓶で殴り、幕下
力士が金属バットで殴打するという、悲惨
極まりないものとなった。時太山はこうして
帰らぬ人となった。
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この事件で元双津竜の時津風は解雇された。
後継は現役だった時津海が指名された。即
引退して時津風部屋を引き継いだ。時津風の
後継は双葉山-鏡里-豊山(前名内田)-
双津竜-時津海とまさに波乱含みのなかで
引き継がれていった。
(この項目続く)
お汁粉が美味しい季節になりました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。