大相撲

元稀勢の里の荒磯部屋の位置付け

2021年5月28日

元稀勢の里の荒磯親方が田子ノ浦(元隆の鶴)
部屋から独立することになった。部屋は出身
地である牛久に隣接する茨城県の阿見町に
建設予定である。2019年一月場所で引退した
ときは秋葉原と浅草橋の間あたりに部屋を
構えるといわれたが、広さを優先したようで
ある。約300平方メートルの土地に土俵を
2面つくるという。力士4人を連れての独立
である。部屋の完成は来年夏になるという。
それまではつくばみらい市にある仮部屋生活
になる。

<元稀勢の里の荒磯親方>

荒磯部屋はどういう位置づけの部屋なのか。
それが以下の系統である。下の図が初代若乃
花以降の部屋の系統である。

スタートは小部屋だった二所ノ関部屋である。
それを大きくせんとしたのが玉錦である。
玉錦亡きあと引き継いだのが玉ノ海である。
玉ノ海は分家独立を奨励した。弟子の光は
七光り。ボス的親方へのおべんちゃらを嫌い、
親方の出世は強い弟子を育てることに主眼を
おいたのである。

<元隆の里の鳴戸親方>

元佐賀ノ花のニ所ノ関から5親方が独立した。
その中に元大ノ海の花籠部屋があった。花籠
は2人の横綱を育てた。初代若乃花と輪島で
ある。その初代若乃花の二子山はなんと2横
綱2大関を育てたほど、弟子育成手腕を発揮
した。2代目若乃花、同じ列車で上京した
隆の里の両横綱。実弟の大関貴ノ花と大関
若嶋津である。4人は引退後独立した。元
隆の里の鳴戸の直弟子が稀勢の里である。

<元隆の鶴の田子ノ浦親方>

鳴戸は2011年11月59歳の若さで急死した。
稀勢の里は関脇で大関を目指していた。部屋
は弟子の元隆の鶴が一時鳴戸部屋を継いだが、
未亡人との話し合いがつかなかった。その
ため、田子ノ浦を襲名して今日にいたって
いる。そして元稀勢の里の荒磯が独立する
はこびになった。

つまり、荒磯部屋は分家(花籠=大ノ海)の
分家(二子山=初代若乃花)の分家(鳴戸=
隆の里→田子ノ浦=隆の鶴)の分家にあたる。
最近は後継者がいなく、峰崎(元三杉磯)
部屋がなくなり、芝田山(元大乃国)部屋に
併合されている。なお、高田川(元安芸乃島)
部屋のルーツは高砂であり、常盤山(元隆三
杉)部屋のルーツは出羽海である。荒磯部屋
からどんな関取が誕生するのか。時間はかか
るかもしれないが、何年か先楽しみにして
いる。

場所中に放送された将棋番組をまとめて
見ています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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