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元稀勢の里の荒磯部屋の位置付け

元稀勢の里の荒磯親方が田子ノ浦(元隆の鶴)
部屋から独立することになった。部屋は出身
地である牛久に隣接する茨城県の阿見町に
建設予定である。2019年一月場所で引退した
ときは秋葉原と浅草橋の間あたりに部屋を
構えるといわれたが、広さを優先したようで
ある。約300平方メートルの土地に土俵を
2面つくるという。力士4人を連れての独立
である。部屋の完成は来年夏になるという。
それまではつくばみらい市にある仮部屋生活
になる。

<元稀勢の里の荒磯親方>

荒磯部屋はどういう位置づけの部屋なのか。
それが以下の系統である。下の図が初代若乃
花以降の部屋の系統である。

スタートは小部屋だった二所ノ関部屋である。
それを大きくせんとしたのが玉錦である。
玉錦亡きあと引き継いだのが玉ノ海である。
玉ノ海は分家独立を奨励した。弟子の光は
七光り。ボス的親方へのおべんちゃらを嫌い、
親方の出世は強い弟子を育てることに主眼を
おいたのである。

<元隆の里の鳴戸親方>

元佐賀ノ花のニ所ノ関から5親方が独立した。
その中に元大ノ海の花籠部屋があった。花籠
は2人の横綱を育てた。初代若乃花と輪島で
ある。その初代若乃花の二子山はなんと2横
綱2大関を育てたほど、弟子育成手腕を発揮
した。2代目若乃花、同じ列車で上京した
隆の里の両横綱。実弟の大関貴ノ花と大関
若嶋津である。4人は引退後独立した。元
隆の里の鳴戸の直弟子が稀勢の里である。

<元隆の鶴の田子ノ浦親方>

鳴戸は2011年11月59歳の若さで急死した。
稀勢の里は関脇で大関を目指していた。部屋
は弟子の元隆の鶴が一時鳴戸部屋を継いだが、
未亡人との話し合いがつかなかった。その
ため、田子ノ浦を襲名して今日にいたって
いる。そして元稀勢の里の荒磯が独立する
はこびになった。

つまり、荒磯部屋は分家(花籠=大ノ海)の
分家(二子山=初代若乃花)の分家(鳴戸=
隆の里→田子ノ浦=隆の鶴)の分家にあたる。
最近は後継者がいなく、峰崎(元三杉磯)
部屋がなくなり、芝田山(元大乃国)部屋に
併合されている。なお、高田川(元安芸乃島)
部屋のルーツは高砂であり、常盤山(元隆三
杉)部屋のルーツは出羽海である。荒磯部屋
からどんな関取が誕生するのか。時間はかか
るかもしれないが、何年か先楽しみにして
いる。

場所中に放送された将棋番組をまとめて
見ています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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