現代は、横綱に推挙する力士が出現したとき、
協会はまず、横綱審議委員会に諮問する。
横綱審議委員会がOKを出してはじめて協会
が最終決定をする。こうして横綱は誕生する。
それでは、横綱審議委員会はいつどのような
経緯で誕生したのか。歴史をふり返ってみよ
う。
昭和25年春場所、羽黒山、東富士、照国の
3横綱は総崩れとなった。2日目、東富士は
神風に敗れ、照国も吉葉山に敗れた。東富士
は翌日から休場、照国は4日目から休場した。
羽黒山は3勝後神風に敗れ、5日目から休場
してしまった。かくして早々と横綱不在と
なり、批難ごうごうとなった。
昭和25年春場所は、前場所不成績を繰り返し
ていた横綱前田山が引退させられていて、
4横綱が解消された場所であった。また、
蔵前仮設国技館で興行がおこなわれた記念
すべき場所でもあった。なお、東富士と羽黒
山は途中から出場している。
世間の批難に協会はあわてた。1月20日の
役員会で、横綱といえども2場所連続負け
越したら大関に落とすということを決定した。
いわゆる横綱格下げである。ところが思いも
よらない反響が待ち受けていた。横綱格下げ
に対して世論が大反発したのである。「横綱
はチャンピオンではない。チャンピオン同様
の成績をあげて初めてなれるものである」
「功なり名を遂げた者は力が衰えたら引退
するだけ。格下げはよろしくない」という
わけである。
これを受けて協会は、1月29日の取締、理事、
監事、検査薬が出席する番付編成会議で次の
結論に至った。
1.横綱格下げは弊害があるので白紙に戻す
2.5月の夏場所までに相撲愛好家、有識者
による横綱のいっさいを審議する横綱審議
委員会を設置する
こうした決定に世論は納得した。かくして
横綱審議委員会は誕生した。ただ、これで
弱い横綱、物足りない横綱はなくなったか
というと、そうでもない。横綱が抱える問題
は、同じ横綱でもあまりにも差がありすぎる
点である。横綱審議委員会の存在価値をぜひ
示していただきたい。
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