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横綱10大史7 横綱審議委員会誕生

現代は、横綱に推挙する力士が出現したとき、
協会はまず、横綱審議委員会に諮問する。
横綱審議委員会がOKを出してはじめて協会
が最終決定をする。こうして横綱は誕生する。
それでは、横綱審議委員会はいつどのような
経緯で誕生したのか。歴史をふり返ってみよ
う。
昭和25年春場所、羽黒山、東富士、照国の
3横綱は総崩れとなった。2日目、東富士は
神風に敗れ、照国も吉葉山に敗れた。東富士
は翌日から休場、照国は4日目から休場した。
羽黒山は3勝後神風に敗れ、5日目から休場
してしまった。かくして早々と横綱不在と
なり、批難ごうごうとなった。
横綱 照国 
<照国のブロマイド>

昭和25年春場所は、前場所不成績を繰り返し
ていた横綱前田山が引退させられていて、
4横綱が解消された場所であった。また、
蔵前仮設国技館で興行がおこなわれた記念
すべき場所でもあった。なお、東富士と羽黒
山は途中から出場している。
世間の批難に協会はあわてた。1月20日の
役員会で、横綱といえども2場所連続負け
越したら大関に落とすということを決定した。
いわゆる横綱格下げである。ところが思いも
よらない反響が待ち受けていた。横綱格下げ
に対して世論が大反発したのである。「横綱
はチャンピオンではない。チャンピオン同様
の成績をあげて初めてなれるものである」
「功なり名を遂げた者は力が衰えたら引退
するだけ。格下げはよろしくない」という
わけである。
これを受けて協会は、1月29日の取締、理事、
監事、検査薬が出席する番付編成会議で次の
結論に至った。
1.横綱格下げは弊害があるので白紙に戻す
2.5月の夏場所までに相撲愛好家、有識者
による横綱のいっさいを審議する横綱審議
委員会を設置する
舟橋
<ミスター横審舟橋氏の記事>

こうした決定に世論は納得した。かくして
横綱審議委員会は誕生した。ただ、これで
弱い横綱、物足りない横綱はなくなったか
というと、そうでもない。横綱が抱える問題
は、同じ横綱でもあまりにも差がありすぎる
点である。横綱審議委員会の存在価値をぜひ
示していただきたい。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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